(以下バージョン7.0までのネタバレがあります。)
(8)(9)では、「創生のチカラ」と【生命のエネルギー】の関係や、各自の意味について考えてみます。
バージョン7.0。バカンウグレ遺跡から異世界へ旅立つ直前に創失が発生し、
ポルテはそばにいた主人公に「創失」の定義を行うのですが、
同時に「創生のチカラ」を絡めてこう説明します。
なお、他のキャラはたまたま2人から離れた位置にいてこの定義を聞いていません。
ポルテ
「創失は アストルティアに 降りかかった呪い。
創生のチカラを 奪われちゃうんだって。
創生のチカラっていうのは すべてのものに宿る
【生命力】みたいなもの。これが 弱まると
この世に 存在できなくなっちゃうんだ。」
まず「創失」には「創生のチカラ」が関わっていることがわかります。
なおかつ「創生のチカラ」は「【生命力】みたいなもの」と、「生命力」との関連づけがなされたことが、気になる情報になっています。
【生命力】という言葉自体はバージョン1から出ていて、
カミハルムイ外伝ではハネツキ博士はエルフの少年ハッパの【生命力】が減ることを懸念し、
ダークドレアムは主人公の強い【生命力】を狙い、
バージョン3では竜族の少女リルチェラは他人の【生命力】を出し入れする能力を持っていて、
バージョン4ではプクラスは【生体エネルギー】と述べていますが恐らく【生命力】や【生命のエネルギー】のことで、
バージョン5では滅星の邪園から深淵へと通じるエレベーターは魔王アスバルによると【生命力】で起動でき、
バージョン7.0のガートラント城でポルテが植物のタネから花を咲かせたことに対してもアスバルは「植物に 【生命力】を与え 成長させたのか。」と説明し、
バージョン6では英雄たちは【命脈】という【生命力】を創生巨神の動力エネルギーに充てていました。
7.0序盤で【生命力】が「創生のチカラ」との関係がある概念として述べられたところが、従来より一歩踏み込んだ説明になっていると思います。
ただし、「みたいなもの」であり、同一ではないことが明示されているところは注意した方がよさそうです。
メレアーデ(バージョン7.0)
「うーん。(創生のチカラは)
万物に宿る 【生命のエネルギー】……
といったところかしら?」
ジーガンフ(バージョン7.0)
「創生のチカラ…… 【生命のエネルギー】……
武術で言う 『【気】』のようなもの……。
メレアーデもジーガンフもアマラークのストーリーで〝大体このくらい。でも同一ではない〟として「創生のチカラ」と「生命のエネルギー」「気」の関係を推測しているようです。
そして「創生のチカラ」は、バージョン6.4でエルドナ神により詳しい定義がなされていました。
エルドナ神
「創生のチカラは あらゆる生命や物質を
この世に 存在せしめるものですのよ。
人の命も 自然も……風ですら
創生のチカラを 持っているのだわ。」
アマラークの序盤で、創生のチカラのことをまだ知らなかったメレアーデがポルテにたずねると、こう答えます。
ポルテ
「あっ うん。えっとね……
創生のチカラは すべてを創りだし
すべてを存在させる チカラのことだよ。
土も水も ヒトも動物も この世に存在する
すべてのモノは 創生のチカラを 宿しているの。
……お師匠様の 受け売りだけどね。」
どうも「お師匠様の受け売り」の内容が、6.4のエルドナ神の定義とかなりかぶっています。
「創生のチカラは」(主語が同一)
「あらゆる生命や物質」=「すべて」
「存在せしめる」=「存在させる」
「ものですのよ」=「ことだよ」
「人の命も自然も」=「ヒトも動物も」(主語が共通)
「風ですら」と「土も水も」は、いわゆる四大元素(残るは「火」)
「創生のチカラを」(目的語が同一)
「持っているのだわ」=「宿しているの」
これらの言葉の一致から、ポルテの師匠はエルドナ神の関係者なのか、それともエルドナ神とポルテは知り合いではなく無関係なのか(意味のある偶然の一致)、言葉の一致はただの偶然なのか、今ある情報からはまだ特定はできません。
四大元素にも創生のチカラは宿っていてそれらを存在させるという点で、創生のチカラは現実世界の錬金術などで登場する、いわゆる第五元素に似ている感じもします。
ジア・クトはアストルティアに念晶巨人を配置して創生のチカラを吸い出しましたが、この行為を「収穫」と言っていました。
「収穫」も現実世界の錬金術で〝物質から第五元素を抽出する〟という比喩として用いられることがありますが、ジア・クトが錬金術をどこまで知っていたのかは明らかになっていません。
生命が持つエネルギーについて(9)へ続きます。