(以下バージョン6.5後期までのネタバレがあります。)
バージョン1のヴェリナードのストーリーでは、ヴェリナード王家には「恵みの歌」「永遠の歌」「刹那の歌」の3つが伝わっていて、
ヴェリナード外伝では、300年前に「育みの歌」が、女性の歌う「恵みの歌」と男性の歌う「導きの歌」に分けられ、
ここで封印された「導きの歌」が現代のオーディス王子により発見され、男王となるために歌われることになります。
ヴェリナードの歌の継承は詩歌の遺跡で行われるそうです。
遺跡がいつの時代に建てられたのかは不明ですが、600年前に始源の歌姫リナーシェが「育みの歌」を発明しているので、
詩歌の遺跡が詩歌の継承のために使われるようになったのは、リナーシェの没後で、歌を引き継いだ妹アリア以降のことのようです。
それぞれの歌の効果は、詩歌の遺跡の詩歌の守り手によると以下の通りです。
「恵みの歌」……豊かな命を育む
「永遠の歌」……流れる時までも凍らせる
「刹那の歌」……眠った時をゆりおこす
疑問に思うのは、ヴェリナード王家の歌の始祖であるリナーシェが歌っていたのは「恵みの歌」の元となる「育みの歌」であり、
「永遠の歌」と「刹那の歌」は歌っていませんでした。
リナーシェの心域(歌姫の絶望 追憶の王城3階)の日記によると、
リナーシェはコルレーン王国の国防のために「永遠の歌」と「刹那の歌」を発明して残し、後世に伝わったようです。
しかしよくよく考えると、「永遠の歌」の「流れる時までも凍らせる」のは、時元神キュロノスが使った「時よ静寂に沈め」による時の流れの停止と同じ機能のようです。
また、「刹那の歌」の「眠った時をゆりおこす」のは、キュルルが使った「時よ 動きだすキューッ!」による止まった時を再び動き出させるのと一緒のようです。
では、ヴェリナード王家の歌の祖リナーシェは「永遠の歌」と「刹那の歌」という時を操る歌を発明するにあたり、
時元神キュロノスやキュルルたちが使ったのと似た効果のある歌を自力で発明したのか(意味のある偶然の一致)、
それとも何かを参照したとするのなら歌の出所はどこなのでしょうか。
「永遠の歌」と「刹那の歌」は、機能的にはキュロノスやキュルルのものとかぶっているので、
彼らと関係がある可能性もありそうですが、真相は不明です。
ヴェリナード外伝では「時の王」という表現が2回出てきました。
300年前のヴェリナード男王ラーディスのことです。
「時の」は〝かつての、当時の〟という意味もありますが、
詩歌の守り手
「……我に刻まれし ひとつの歌。
かつて 時の王により 消された歌。」
ソヌーグ(シエラ巡礼地のウェディ男性)
「かつて 私の先祖が 時の王より命を受けた。」
いずれも文中に「かつて」が入っているので、「時の王」を〝かつての王〟とすると同語反復になり不自然です。
ここは「時の王」というラーディス王の呼称・肩書きと考えるのが自然だと思います。
すると、ラーディス王は「時の王」のようなのです。
なぜこの呼び名が付いたのか不明ですが、「永遠の歌」「刹那の歌」という〝時の歌〟と関係はあるのでしょうか。
日誌「ヒメアの謎」に書きましたが、ツスクルの村の地下にある「神代の間」では、
その土壌に「時の流れを転じさせる」という「時の砂」が混じっている話が出てきました。
これは、4.5でキュルルが言う「キュロノスの死という事象を維持したまま世界の時間を戻す」という「因果律操作」と似ていました。
時の砂の力を用いた「不老の秘術」で、ヒメアやその母ヤクルは不老長寿になることができていたようです。
神話時代に女神ルティアナは主人公を「時のまれびと」と2度表現し、時間跳躍者であることに理解を示しましたが、
彼女に時の砂を作る能力はあったのでしょうか。
時の砂のある場所は、なぜ〝神話時代〟を意味する「神代」を冠した「神代の間」という名前なのでしょうか。
600年前以降のヴェリナード王家や、神代の間に、時の妖精は関わっていたのかどうか。
なぜ時を操る力がヴェリナード王家や神代の間に伝わったのか。今後の展開が待たれます。
おわり
(2024年11月18日追記)
コルレーン城の2階には、「天使が飛び立つ用にせり出したような場所」(『秘聞録』p.311)のようなものが見当たります。
コルレーン城のものと似た構造が、現代の天星郷の聖天舎にもあります。
なぜコルレーン城にこの出っ張りが必要だったのでしょうか。