(以下バージョン7.6(前期)までのネタバレがあります。)
言語論によると、世界はもともと混沌としていて、そこに区切れを入れて整理する働きをもつのが「言葉」ですが、
この〝世界の混沌に区切れを入れて整理する言葉の機能〟のことを「分節化」といいます。
ポルテはバージョン7.0で「女神ゼネシアさま」から「ネーしゃま」へと表現を変えたことで、ポルテとゼネシアの間に新しい分節化が起こります。
主神グランゼニスのもとでの神としての重圧や守護天使からの侮蔑の意味を持たない「ネーしゃま」という名前をもらったことで、
ゼネシアは心が幾分かポルテに救われたのではないでしょうか。
そしてバージョン7.1でネーしゃまは「ポルるん」と名付けをし返し、ポルテが心から喜んだことで、双方の信頼関係が強くなったようです。
言語論では「言葉の恣意性」について説明されますが、「恣意性」には恐らく大きくふたつの意味合いがあるようです。
ひとつは〝ある表現(文字・音)がある内容を伴う際、双方の結び付きは恣意的だ(人の勝手によるものだ)〟という意味で、
表現と内容の結び付きのルールをまとめたものが辞書ですが、表現と内容の辞書的な結び付きの規則を「コード」といいます。
主神グランゼニスは、「創失」という表現に対し、「全てを侵し 喰らい 忘却せしめる」という内容を定義づけし、
「全てを侵し」(あらゆる生き物に加え無生物にまで及び)
「喰らい」(創生のチカラを奪って体を溶解し。詳しくは日誌「錬金術の『食べる』について考える(1)(2)」)
「忘却せしめる」(地上に残された者に、消された存在のことを忘れさせる)
という内容を定義づけしますが、神の名付けによって表現と内容が恣意的に結び付けられます。
そしてもうひとつの言葉の「恣意性」は、〝混沌とした世界をどのように言葉で分節化するかも恣意的だ(人の勝手によるものだ)〟というもので、
「創失」の場合、「全てを侵し 喰らい 忘却せしめる」という3つの条件が全て満たされる必要がありますが、
3つの条件で分節化したのは神の勝手であり、条件を増減したり、別の観点から述べたりすることもできはするはずです。
このゲームの話でおもしろかったのは、単なる既成の言語論の話にはとどまらずに、「創失」や恐らく錬金術の「溶解(喰らう)」と結び付けての分節化がなされたことで、独創性が大きく出たように感じられました。
ちなみに、「ポルるん」と「ネーしゃま」のコミュニケーションは、言語論・記号論・テクスト論などを参照する文学批評理論で説明されるところのものと非常に似ているようでした。
誰かと誰かが双方向でコミュニケーションする際、言葉(表現と内容)にはコード・コンテクスト・コンタクトなど様々な要素が作用することで初めてコミュニケーションは成立するはずです。
「言葉」の表現(文字や音)と内容の結びつき方の規則のことを「コード」といい、具体的には辞書的意味や文法規則のことをあらわします。
また、「言葉」の前後に何かしらの文脈はあるはずで、これを「コンテクスト」といいます。
ゲーム中の話の脈絡だけでなく、ゲーム外(現実世界)の時代の流れや地理的な差異なども含まれてくると思います。
たとえばグランゼニス神のずれた言葉づかいは、アンルシアの指摘するように彼が持つ語彙にはゲームの内外での時代のコンテクストが異なるものがあることに起因しているみたいです。
「言葉」の「表現」から読み取りできそうな「内容」を、読み手は自身の持つ「コード」を使いつつ、「コンテクスト」も考慮しながら推測していくことになります。
7.6終盤で、創失しかかったポルテが落下していくような場面がありますが、あの涙が女神ゼネシアに届いて一肌脱ぐ決意を抱かせたのは、
もちろん涙が届いたからであり、涙の意味合いをゼネシアが察してくれたからであって、
もしポルテが創絶を招くものから創失の呪いを受けなかったら、地上と創失の世界は隔たりがあるようなので、涙は届かず、世界の創生は実現しなかったはずです。
情報の発信者と受信者は何らかの形で接触して初めて表現を受信者に発見してもらうことができるはずで、この接触のことを「コンタクト」といいます。
もし涙を「円環」と捉えるなら、円環は神を象徴することがあり、涙が女神登場の前振り的な〝円環が立て続けに出てくる〟という意味のある偶然の一致(共時性)の可能性は残りそうで、
この直前に創絶の崩界竜が自身のしっぽをくわえ円環をなすウロボロスのポーズをとっていたこととも連続性があるように思われました。
この文章を書くのに、世織書房『読むための理論』、岩波書店『スコールズの文学講義』などを参照しました。
おわり