敢えて、何の事とは言いません。
早いもので、日本史上に残る凶悪犯罪から10日以上が経ちました。
未だに、メディア上では故人の功罪だの犯人の背景だのといった話題が溢れかえっていますが、私はこうした話からは距離を置いています。
「人を殺してはいけない」
この当たり前の話をする際に、一切の修飾語は不要だからです。
しかし、この冒険日誌を読んでいる人、或いは全てのアストルティアにいる冒険者は、この当たり前の話をする資格が本当にあるんでしょうか。
私は、日々DQXをプレイしながら、最近はそんな事ばかり考えています。
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我々は、息をするように日々モンスターを「討伐」しています。
相手がモンスターだからこそ「討伐」などと称していられますが、実際にやっている事は殺戮に他なりません。
時には刺殺し、時には撲殺し、時には呪文によって焼き殺しています。
海賊の登場により、ここに「銃殺」も加わる事になりました。
「モンスターを討伐してゴールドを手に入れる」というのは、ドラクエの世界では当たり前に行われている事ですが、一歩ゲームの外に出れば単なる強盗殺人です。
日々「自分はゲーム内で殺戮と略奪とを繰り返している」などと思いながらプレイしている人はそんなにいないでしょうが、外見上は紛う方なき戦争犯罪です。
ただ、「ゲームの中だから許されている」と我々が思い込んでいるだけに過ぎません。
仮に、今回の凶行と同じような事件が発生し、その犯人がDQXをプレイしている人だった場合、世間がDQX(或いはRPG全般)を見る目はどうなるでしょうか。
「普段からゲームで殺戮ばかり繰り返しているから、倫理観が麻痺しているんだ」
特に(ゲームにそれほど親しんでいない)高齢者を中心に、このような意見が出てくる事でしょう。
これを偏見だと言い返すのは簡単ですが、事件の結果が重大であればあるほどこうした意見の勢いも強くなります。
そして、その結果生じるものは、法律や条例によるゲームそのものへの規制です。
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我々は、アストルティアで日常的に暴力を行使しています。
だからこそ、一歩ゲームの外に出たら、暴力的な行為について一般人よりも自制的でなければならないんです。
「所詮ゲームの中での話ですから」
この言い分は、冒険者の強い自制心があってこそ、初めて成り立つものです。
微塵でも我々の持つ暴力性がアストルティアから外に溢れ出てしまった時は、それがゲーム業界の「終わりの始まり」になってしまうという事を、我々は常に意識し続けなければなりません。