※ 注意!
【 この日誌にはVer.6.5前期メインストーリーにおける 『 重大なネタバレ 』 が含まれております 】
※ 特に要注意!!
【 この日誌では、乱暴な言葉遣いが頻出します。暴言もあります。不愉快に感じられる方はここで読むのをおやめください 】
よろしいですか?
Ver.6.5前期メインストーリーにおけるアシュレイの死について、おはなし感想広場では否定的な意見が噴出しています。
「 なんで殺したの? 」
「 描き方が雑すぎ 」
「 唐突すぎる 」
そういう意見を抱く気持ちは僕もわかります。
でもね。
一方でこうも思うんですよ。
【 助命嘆願の無いキャラクターは死んでもいいの? 】
アシュレイの死を惜しむ声が上がるのは、人気のあるキャラクターだからだろう。
じゃあ、人気の無いキャラクターは死んでもいいのか? 殺してもいいのか?
スパスタの職業クエでプレシアンナというキャラが登場する。
彼女は最終的に魔物になった挙げ句主人公に倒されるという悲劇のヒロインだ。
でも 「 プレシアンナを殺すなんてヒドイ! 」 という声は聞いたことがない。
少なくとも、僕は10年以上ドラクエ10を遊んでいて一度も聞いたことがない。
命の価値は誰でも同じだ。
死んでいい人間なんて一人もいない。
誰もが教わることだろう。
もちろん 「 こいつは死んでも惜しくない 」 と思う人間は存在する。
現在、隣国を武力侵攻している某国の国家元首なんか 「 むしろ死んで欲しい 」 とすら思う。
でも、それはあくまで 「 自分はそう思う 」 ってだけの話なんだよ。
まさにそれが問題でね。
命の価値ってのは 「 自分の主観でしかない 」 ってことなんだ。
「 自分にとって大切な人かどうか 」
もっと下世話なことを言えば、
「 自分の推しキャラかどうか? 」
それが価値基準なんだよ。
こういうことを書くと 「 現実と創作物を一緒にするな! 」 というお叱りの声も上がるだろう。
一緒だよ。
「 命の大切さ 」 を考える上では現実も物語も一緒だよ。
物語でキャラクターが死ぬ前には、いわゆる 「 死亡フラグ 」 というものが立つ場合がある。
急に出番が増えたり、セリフが増えたり、将来の夢を語り出したり。
それらはキャラクターの死をより一層悲劇的に演出するために用いられる。
でもさ。
現実の死ではフラグを立てるヒマなんてないんだよ。
朝 「 行ってきまーす! 」 と元気に我が家を出て行った子が交通事故で突然亡くなるなんてことこの世にいくらでもあるんだよ。
死の描き方が雑?
ふざけんなっ!
死に、雑も丁寧も美しいも醜いもねーんだよっ!!
あえて言うなら 「 美しい死 」 というのは 「 生き様が美しい 」 ということなんだと思う。
その 「 美しい生き様 」 の帰結として 「 美しい死 」 が存在するのだろう。
ただね。
それを決めるのも 「 生き残った周りの人々 」 なんだよね。
アシュレイの死後、回生堂にいる英雄たちに話しかけると、アシュレイについての色々な逸話が聞けます。
リナーシェは 「 国を治める同じ統治者として、アシュレイさまとはたくさんお話をしました 」 と語りました。
フォステイルは 「 意外に思うかもしれないが、彼は自分の心に他人が踏み込むのを容易に許さないところがあったんだ 」 と語りました。
こういう 「 自分の知らないアシュレイの姿を他人が語る 」 のを聞いて、僕はアシュレイの突然の死を実感し、アシュレイがもういないのだという喪失感と寂寥感を強くしたものです。
また、天星郷にいる天使たちに話を聞くと、アシュレイの死を悼む言葉も聞けました。
そういう意味では、アシュレイの死は 「 美しい死 」 だったのかもしれない。
最後に。
「 Ver.6.5前期メインストーリーがつまらない 」 という意見が上がることについては僕もよく分かります。
ストーリーについて僕は 「 尺が足りない。短い。説明不足。 」 だと思いました。
このことが、アシュレイの死に対する厳しい意見に拍車をかけているように思います。
でも、もう一度いいますが 「 キャラの死に貴賤はない 」 んです。
しいて言えば 「 物語のテーマを語る上での必然的な死 」 があるくらいではないでしょうか。
以上で 【 登場人物の命の価値について思うこと 】 についての日誌を終わります。
最後まで読んで下さってありがとうございました。