DQを含むRPGは一般的にパーティー単位でプレーすることを前提として各職業の個性が作られています。
一人では薬草が手放せない戦士が、旅で出会った僧侶に助けられ、次第に自分の本領を最大限に発揮するのに不可欠な存在に感じていく。戦士は僧侶を守り、その立ち回りを補佐する。僧侶も戦士の助けを借りて、互いの役割が双方にとって役立つものと認め合い、信じ合える仲間と最高のパフォーマンスを発揮する。
それがRPGに描かれたパーティーの意義だった。
他の職業も、その関係性を壊さず他方を生かし、より強化を図れるもの、または戦闘のバリエーションを幅広とすべく設計されている。
何らかの結果として現在、能力差を理由に批判と争いが絶えなくなっているのだとして、それが何故起きているのか?ということ。まさか、他方の非力さをカバーしようとそれぞれが努力し、単独で力が発揮できるようになった結果起きているなんてこと、あり得ないわけで。それぞれが単独で力を発揮してると勘違いを起こしてることを原因に起きているんでしょう??
その能力差間を埋めるべく推し進められた『調整』によって、もし職業が無個性化しちゃったらどうだろ?
個別のパフォーマンスを引き出せるからパーティーがある。互いの不器用さを補い合うためにそれぞれの長所と個性があるはずなのに。