DQXはコミュニケーションツールとしての方向性で開発されたとのことですが、運営的にはこれを「成功」と位置づけることが出来るんですかね。
いま尚「警察的な取り締まり」を申し入れるばかりのユーザーが提案広場に後を絶たないのも、運営的には「開発スタート当初から想定内」だったと理解します。と言うのはceroAでるからです。けれどそののちのコンテンツの仕様ってとてもceroAに該当する世代が楽しめるような雰囲気してないと思ってます。
何をどう取り違えていったのでしょうね?
そう言えば運営に警察的取り締まりを求めて泣きつく人たちって結構いい年したceroAに該当しない大人ですよね?と言うことからしてもコミュニケーションツールの立ち位置って何だったのかと。LGBTやハラスメント返しにしても「マトモ」の域を越えて何で権力武装してるん?それ弱者にかこつけた都合のいい「なりすまし」やん?て言う。そりゃ世の中終わりでええとなりますわ。
そもそもゲームって「現実に出来ない事を楽しむ」のがコンセプトの要。
端的に言えば勝ち負けを競う「争い」がベース。
不平等の世界を基本として成立したもの。それがゲーム。
なので以前運営からも「ギスギスを楽しんで」との発言が飛び出したのだと思いますし、それを理解した上での事だと、それはまあ理解できるんです。けれどそれが今遊ばれているユーザーには伝わってない訳ですよね。
なので一度それについての運営的見解を表明して頂きたいと思ってます。でないともうこれ以上この規模のMMOは作られないんじゃないかと思うので。
ゲームって例えば現実にやっちゃいけない事がゲーム性として落とし込まれて、それが可能になるというところが大きな魅力だと思うのに、すべて警察がダメにする。だからそれは現実じゃやっちゃいけないよ、という境界線があって機能するものだって言ってんのに、それが解らない。バナナの皮で滑って本気で怒っている大人がいるwそりゃそんな大人に関わり持ちたくなくなるわw
ゲームで平等化叫ばれて何が面白いの?現実で何も声挙げられないのに?
ちょくちょくユーザーから圧しきられる形でこれまでつまらない事にもアレコレ規制を掛けてきたので、考えてることがホントわからないんですよ。ホントつまらない事にもいちいち規制を掛けて最終的にゲーム性をダメにしてるなぁと思って来ました。勿論ゲームと現実問題とごっちゃにしないで下さいね;
まあ、ようやく片がついて清々しますよ。ホント。