(まずは第0話から読んで下さい。)
「高橋君だね」
努めて優しい声で呼ばれたのだが、何で僕の名前を?
…ってレッスンのスケジュールが決まってるからわかるよな、ウン。
そしてこの人は先生の旦那さんだ。形の上だけかどうかはわからないけど。
その事情を知っていた僕には多少の余裕ができていた。
「これを渡すよう頼まれたんだ。」
差し出されたのは、先生の部屋にあったレモン絵皿と似たデザインの封筒だった。
旦那さんの「読んでいいよ」という視線を受け取る前に、僕は封筒を開けていた。
日本語を書くのが苦手だったのか、手書きではなく印刷された文字が目に入った。
「親愛なるひろゆきくんへ
急だけど、私はイタリアへ帰ります。
私は君にバイオリンを教える時間が好きだった。chiara」
ふ! あ!
まちがいない、僕のせいだ!
僕の演奏とあの言葉のせいだ… … 。
役目を終えた旦那さんが家の中へ入っていく様子が
テレビのワンシーンのように視界の片隅に映ると、あとは周りの景色が静止した。
もうここにいてはいけない…そんな感覚だけで自転車をこぎ出す。
僕のやってきたことは、何なのだ?
先生が思い出を鉄の部屋で囲い、閉じて遠くの海に捨てた鍵、
それを、時間と労力をかけて潜水士になった僕が偶然拾い、
鉄の部屋を開けてしまったのだろうか。
それとも、ゴミの廃棄場でたくさんのがらくたを器用に積み上げ、
作り上げたのはその彼の顔のモザイク模様だったのか。
そんなつもりはなかった…。
気が付くと僕は自転車を全力でこいでいた。
途中の信号が青かなんて見ていなかった。
タイミングよく車とぶつかり、背中のバイオリンを思い出ごとバラバラにしてくれたらよかった。
家に着くと、暗いままのベッドに潜った。震えながら泣いた。
ダル・セーニョ。楽譜の記号で、セーニョ記号の位置まで戻る。
僕の人生にダル・セーニョがあるなら、セーニョ記号は告白する前に置くだろう。
DQ5で大人になった主人公が子供の頃の自分に会うイベントがあるが、
そんなことができるなら、僕は必要なプレゼントと、
自分の理想像ようなの大人の眼差しを与える代わりに、
子供の僕の右腕をへし折って二度と教室に通えないようにするだろう。
僕は心の中で、思いつく限りの武器…剣や鎌や槍で自分を刺し続けた。
ただ自分を罰したかった。
(第6話へ続く)