「やっぱり、かわいそうだよ」
そう独り言を呟いて、見事な金糸の刺繍が施された赤いソファーに
ごろんと寝転がった男の子が難しい顔をして本を睨んでいた。
「またその本を読んでいるのか?」
「だって、皆に忘れられてしまうなんて悲しいよ。
僕なら絶対に忘れないもの」
ぷくっと頬を膨らませてぷんぷん怒る男の子の頭にそっと手を添えて
少し年上の兄が優しく微笑みかける。
「確かにお前も産まれた時に体が弱かったが
治したのは魔女じゃない。お医者様だ。
その本はおとぎ話さ。
ほら、兄上の所に行っておいで」
「でも・・・はい」
男の子は何か言いたげだったが、本を胸の前でしっかりと抱え
大人しく一番上の兄の元に向かった。
第三王子として産まれた時から国中の愛情を一身に受け育ってきたこの王子は
産まれてすぐに病気で死にかけるが、奇跡的に回復することができた。
が、それ以降不思議な体質となった。
「あっ」
大きな本を抱えて歩いていた王子は、躓いて転んでしまった。
肘を擦りむいてしまいヒリヒリと痛んだが
暫くすると痛みは消え、なんと傷口も綺麗に消えていった。
「大丈夫か?」
そっと差し伸べられた大きな手に、王子は体を起こしてもらった。
気品溢れる風格のこの男は、王子と同じ白銀の髪をさらさらと肩まで伸ばし
眼鏡越しの切れ長の瞳は淡い緑色をしていて、とても神秘的である。
「クラ兄様・・・」
「いいかい。シャルドネ。
お前の体は特別なのだから、大切にしなさい」
一回り程年の離れた兄クラックスは、傷や病を
たちまち癒すその不思議な体の研究に精を出し
長い間自室にこもっていることが多く
幼いシャルドネの定期的な検査を繰り返していた。
それもあってか、シャルドネはこの兄が少し苦手でもあった。
「よし、今日はここまで。良く頑張ったな」
けれども、たまに見せてくれる優しい笑顔と
大きな手で頭を撫でてもらえるのが
毎回とても嬉しくて、たまらなかったりもする。
嬉しいことがあると小さな王子は決まって
城の中庭にあるひとつの花壇の前に行く。
「どんぐり~!どんぐり~!」
王子が花に話しかけると、風も無いのに花達がゆらゆらと揺れ始め
草花の間からひょこっと一人の妖精が顔を覗かせてきた。
どんぐりと呼ばれたその妖精を手のひらに乗せると
今日の出来事を嬉しそうに彼女に語って聞かせた。
周りの従者もその姿をよく見かけていたが
花に語りかける王子を微笑ましく見守るだけで
誰も妖精の姿に気付いてはいなかった。
いや、シャルドネにしか見えていないのかもしれない。
そして今彼が大事に抱えている本は
どんぐりから受け取ったものでもある。
妖精は言葉を話さないけれども、この本に書かれていることは
幼いながらシャルドネ自身、何か大事なことの様な気がしてならなかった。
それから月日は流れ
光の溢れる美しい世界で、愛情をたっぷりと注がれながら
すくすくと育っていった王子は
たくましい青年へと成長していった。
そして今日は、シャルドネ王子の18歳の誕生日。
城下町はいつもに増して賑やかになり
城内では第三王子の結婚相手を探す華やかな舞踏会が開かれていた。
あちこちから招かれた姫や領主の娘たちが
王子が現れるのを今か今かと待ちわびている。
髪の色に合わせて仕立てさせた上等な白銀のマントを羽織り
瞳の色に合わせて蒼いサファイアのピアスを身に着けたシャルドネは
あの中庭の花壇の前にいた。
肩に妖精を乗せ、険しい表情であの本を見つめる。
結局この物語を信じてくれる者は居なかった。
兄達は多方からの来客もあるので、万が一に備え
警備は整えると言ってくれたが、嫌な予感がする。
と思った刹那、どんぐりが耳をグイッと引っ張る。
「痛っ・・・え?」
どんぐりの指差す上空に目をやると、黒い影が飛んでいる。
鳥、ではない。それは、真っ黒な竜だ。
シャルドネは走り出していた。
舞踏会の会場に大歓声が起こっていた。
第三王子の登場である。
中央に伸びる赤い絨毯の上を、王子が歩いていく。
その絨毯の周りに、美しいドレスや宝石で着飾った娘達が黄色い声を上げていた。
玉座の前に来た王子を見て、兄達が異変に気付く。
「シャル。今日の為に仕立てた衣装はどうした?」
王子がニヤリと笑う。
「兄様!!その人は俺じゃない!!」
シャルドネが会場の扉を荒々しく開け放ち叫ぶと
目の前に立つ、自分と瓜二つの顔と目が合った。
その瞬間
国中の人々は思い出した。
双子の王子が産まれたこと。
そして、その内一人が魔女に連れていかれてしまったことを。
シャルドネが息を切らし、手を伸ばしたのも遅く
国王とお妃が思い出し涙を流した時には既に
もう一人の自分が二人の心臓を貫き、剣を紅く濡らしていた。