窓の外には、手入れの行き届いた冬の日本庭園が広がっている。けれど、この超高級老人ホーム「白銀の調べ」のラウンジに、松の枝を眺める者は一人もいなかった。
「あら、源三さん。またそんな派手な色のオーガになって。血圧上がっちゃうんじゃない?」
「ふん、余計なお世話だよ、ヨネさん。中身はボロボロでも、アストルティアじゃこの背筋を見てくれよ。風を切って走る音が、補聴器越しでも快感なんだ」
ラウンジには、最新型のタブレットと高音質ヘッドフォンが並んでいる。かつて財界を揺るがした重鎮たちが、今は小さな画面の中でスライムを追いかけていた。
室内を漂うのは、最高級のドリップコーヒーの香りと、電子音。けれどそれは、病院のような無機質な音じゃない。
「……ねえ、聞いて。ヴェリナードの波の音、本物より本物みたいじゃない?」
元ピアニストの節子さんが、うっとりと目を閉じてヘッドフォンを指差した。
「この環境音、本当に頑張ってるわね。寄せては返す波のざわめきが、脳の奥の錆び付いた記憶を洗ってくれるみたい。エフェクトもキラキラして……まるで、昔見たウィーンのシャンデリアだわ」
「そうそう、ボケ防止には最高だよな」
源三さんが、震える指で器用にコマンドを選択する。
「次はどの呪文を放つか、耐性は何%か。株の銘柄を追うよりよっぽど頭を使う。指先を動かすたびに、麻痺しかけた神経が目を覚ます感覚がするんだ」
ここでは、肩書きも病歴も関係ない。
「あ、誰かから『いいね!』が来たわ。嬉しい……この歳になって、見ず知らずの若者に肯定されるなんてね」
ヨネさんの頬が、ピンク色のチークよりも鮮やかに染まった。画面越しに伝わる微かな体温。誰かと繋がっているという確かな手応えが、寂しさという名の澱みを押し流していく。
「理不尽なことも多い世の中だけどさ、この世界だけは、努力した分だけ宝箱が開くんだ」
源三さんの言葉に、みんなが静かに頷いた。
暖房の唸りも、廊下を歩くナースの靴音も、今は遠い。
彼らは今、高級な革張りの椅子に深く沈み込みながら、重力から解放されて伝説の勇者になっていた。
「よし、明日はみんなで『コインボス』に行こう。心臓に悪いから、蘇生役の僧侶はしっかり頼むよ」
笑い声が、ラウンジのシャンデリアを揺らす。
夕暮れ時の寂しさが忍び寄る時間。けれど、彼らの瞳には、アストルティアの眩い魔法の光が、いつまでも鮮やかに反射していた。