一歩後ろで、君を見ていた
一、死の直後
僕は、先日死んだ。
あまりにもあっけなくて、現実味のない終わりだった。
朝、いつも通り目が覚めた。
シャワーを浴びて、コーヒーを淹れて、曇った窓の外を見た。
雨が降るかもしれないな、と思った。
スマートフォンの画面には、仕事の通知が二件と、君とのメッセージ画面が開きっぱなしで残っていた。
前の夜、君から来ていた短い文。
「明日、ちゃんと話せる?」
僕はそれに、返事を書きかけて消して…そのまま寝てしまっていた。
朝になったら返そうと思っていた。
そういうことを、僕はよく後回しにした。
それが最後だった。
交差点を渡ろうとした、その瞬間。
音がした。
それから先は、よく覚えていない。
気づいたときには、自分の身体を見下ろしていた。
まるで他人みたいに、地面に倒れている僕。
周りに人が集まっている。
誰かが叫んでいる。
誰かが電話をかけている。
でもその声は、どこか遠くて、水の底から聞こえてくるみたいにぼんやりしていた。
痛みも、恐怖もない。
……ただ一つだけ。
終わったはずなのに、終わっていない。
そんな違和感だけが残っていた。
そして気づいた。
僕は、君のそばから離れられない。
病院の廊下。白い蛍光灯の下で、君はプラスチックの椅子に座ったまま、膝の上に置いた手をじっと見つめていた。
泣き方さえ、静かだった。
声を上げるわけでも、誰かにしがみつくわけでも、崩れ落ちるわけでもない。
ただ、涙が頬を伝って、床に落ちる。
それだけだった。
僕からは見える。
でも、君からは見えない。
たった一歩の距離が、どうしようもなく遠い。
触れたかった。
せめて手のひらに触れられたら、それだけでよかった。
でも僕の手は、空気をすり抜けるだけだった。
君の涙を見ていると、どうしても思い出してしまう。
全部。
最初から。
二、出会い
出会いは、ありふれていた。
駅前の小さな本屋。
広くもなければ、特別品揃えがいいわけでもない。
でも、棚と棚の間隔が少し狭くて、木の床がきしんで、天井が低くて、なぜか落ち着く店だった。
僕はその日、仕事が早く終わったのに、まっすぐ家へ帰る気になれず、なんとなく立ち寄っただけだった。
文庫本の棚で、一冊の背表紙に手が止まった。
前から読みたいと思っていた本だった。
手を伸ばした、そのとき。

別の手が、同じ本に触れた。
軽くぶつかった指先が、すぐに離れる。
「すみません」
「いえ、こちらこそ」
顔を上げると、君がいた。
少し驚いた顔をして、それからすぐ、小さく笑った。
「気になりますよね、この本」
君が言った。
「好きなんですか、この作家」
気づいたら、僕はそう聞いていた。
「好き、というか。ずっと読もうと思ってて、でもなんとなく先に延ばしてて」
言ってから、君は表紙を見下ろした。
「なんか、そういう本ってありますよね。まだ読んでないのに、自分の中では大事なやつ」
その言い方が妙に気に入って、僕は笑った。
「じゃあ僕と一緒だ」
「一緒ですか」
「僕も、ずっと読もうと思ってました」
「じゃあ、どっちが先に読むか競争ですね」
それだけのはずだった。
でも、なぜか会話が終わらなかった。
結局その本は棚に戻して、二人とも別の本を買って、気づいたら一緒に店を出ていた。
店先で、君が振り返る。
「やっぱり、この店いいですね」
それから、少し考えるみたいに首を傾げた。
「なんか、ちゃんといい」
「ちゃんと?」
「うまく言えないんですけど。頑張っておしゃれにしてないのに、ちゃんと落ち着く感じ」
その言い方が、妙に君らしかった。
「どっちの方向ですか」
「北口です」
「あ、同じだ」
それが始まりだった。
駅まで歩く間、本の話をした。
好きな映画の話をした。
行きつけの喫茶店の話になって、改札の前まで来ても、なかなか会話が途切れなかった。
僕は一度、連絡先を聞こうとして、やめた。
変に思われるかもしれない、とか、ここで終わる出会いならそれでもいいのかもしれない、とか、そんなことを一瞬で考えた。
そうして迷っているうちに、君が先に口を開いた。