川は、今日も静かだった。
音がないわけじゃない。
水は流れているし、風もちゃんと通り過ぎていく。
それでもアルには、どこか"終わりに近い音"に聞こえていた。
ゆっくりと閉じていく、本の最後のページみたいな。
「……きれいだな」
ぽつり、と落とした言葉は、水に溶けるように消えた
返事はない。
でも、ここではそれが普通だった。
これまでだって、ずっとそうだったから。
アルは川辺に座る。
少しだけ冷たい石の感触が、やけに現実的で。
それが、今という時間をはっきりさせる。
「ここに、いっぱい置いてきたなあ」
思い出すのは、言葉たち。
楽しくて、思わずこぼれたもの。
寂しくて、やっと絞り出したもの。
うまく形にならないまま、沈めたもの。
全部、この川にある。
見えないけど、ちゃんとある。
「届いてたのかな」
指先で水面をなぞると、波紋が少し遅れてやさしく返ってくる。
声にならなかった声たちの、静かな相づちみたいに。
「……そっか」
アルは、少しだけ笑った。
でもその笑顔は、すぐにほどけてしまう。
「ほんとはね、もう少しここにいたかった」
ぽろり、と本音が落ちる。拾う人はいない。
だからこそ、正直なまま、水に沈んでいく。
「まだ言いたいこと、あった気もするし」
言いかけて、やめる。
全部言い切れる日なんて、きっと来ないと知っているから。
風が吹いた。
水面が揺れて、映ったアルの顔が少し歪む。
泣いているみたいに見えて、アルは少し困った顔をした

「……でもね」
小さく、息を吸う。
「止まったままは、やっぱり違うから」
川は流れている。
どんなに静かでも、どんなにゆっくりでも。
だからアルも、同じように進まないといけない気がした
「ちょっとだけ、休むね」
それは終わりの言葉に似ているけど、
少しだけ違う。
「ちゃんと戻れる場所があるって思えたから、休めるんだと思う」
アルは水面をのぞき込む。
そこには自分の姿と……その奥に、重なって見えるいくつもの過去の自分。
ここで笑っていたアル。
ここで黙り込んでいたアル。
何かを残そうとしていたアル。
どれも、ちゃんとそこにいる。
「ありがと」
今度は、はっきりと口にした。
風にさらわれてもいいように、少しだけ強く
手のひらで水をすくう。
こぼれそうなそれを、頭の皿へそっと戻した。
冷たいはずなのに、不思議とあたたかい。
ここで過ごした時間みたいに。
「……じゃあね」
立ち上がる。
一歩だけ、踏み出す。
ほんの一歩なのに、やけに遠く感じた。
振り返ろうとして、やめる。
見てしまったら、きっともう少しここにいたくなるから
「またね」
今度は、少しだけ未来に向けて言った。
風が背中を押す。川は変わらず流れ続ける。
アルがいなくても、
アルが戻ってきても、
同じようで少しずつ違う形で。
やがて足音が遠ざかり、気配が消えるころ。水面は、また静けさを取り戻す。
けれどそこには、消えないものがひとつだけ残っていた
ここに置いてきた声たちが、水の底でそっとほどけていくように。
誰かがまた、この場所を見つけたとき。
きっと、やさしく届く。