「いらっしゃい。」
小さな声とともに、本のページがふわりとめくられる。
柔らかな灯りに照らされた店の奥。
本棚に囲まれた小さな椅子へ腰掛けたカッパの少女は、開いた本から顔を上げて微笑んだ。
「今日はどんなお話にしようかな。」
窓の外では、夜空に星々が瞬いている。
少女は少しだけ考えてから、本を胸に抱いた。
「そうだ。」
「今夜は、星たちが歌うお話をしよう。」
まるで誰にも聞こえない子守歌みたいな。
眠る魚たちと、静かな池と、一匹のカッパのお話。
遠い昔のことなのか。
それとも、今もどこかで続いていることなのか。
それはわからない。
けれど、風のない夜に耳を澄ませば、もしかしたら聞こえるかもしれない。
星たちの歌声が。
少女はそっと最初のページをめくった。
「それじゃあ、始めようか。」
「ほしのこもりうた。」

むかしむかし、山のふもとの小さな池に、一匹のカッパが住んでいました。
名前はミズハ。
ミズハは夜になると、池のほとりに座って空を見上げるのが好きでした。
けれど、ひとつだけ不思議なことがありました。
満天の星が輝く夜でも、池の水面には星が映らないのです。
「どうしてだろう」
ミズハは首をかしげました。
風のない夜も、月は映るのに、星だけが映らない。
そこでミズハは、森の動物たちに聞いて回りました。
フクロウは言いました。
「星は遠すぎるからじゃないかね」
タヌキは言いました。
「池が星に嫌われているんだろう」
けれど、どちらもしっくりきません。
ある晩、ミズハがいつものように空を眺めていると、ひとつの流れ星が池の近くへ落ちてきました。
慌てて駆け寄ると、草むらの中で小さな星が泣いていました。
「だいじょうぶ?」
ミズハが聞くと、星はしゃくりあげながら答えました。
「みんなと歌っていたら、転んじゃったの……」
星たちは夜空で歌を歌うのだそうです。
ミズハは星を池のほとりへ連れていき、水を飲ませました。
すると星は少し元気になり、ぽつりとつぶやきました。
「この池、やさしい匂いがするね」
「そうかな?」
「うん。だから星が映らないんだよ」
ミズハは目を丸くしました。
「え?」
「星はね、眠っているものを起こさないために、水辺には光を映さないことがあるの。」
星は空を見上げました。
「この池には、小さな魚も、カエルも、水草も、みんな安心して眠ってる。だから星たちは光を映さないようにしているんだ」
ミズハは初めて知りました。
映らないのは、嫌われているからではなかったのです。
優しく守られていたからでした。
やがて夜明けが近づきました。
星は帰らなくてはなりません。
「お礼に歌を歌うね」
そう言うと、小さな星は静かに歌い始めました。
言葉のない、不思議な歌でした。
風がゆっくりと揺れ、池の水面がきらりと光ります。
すると今まで映らなかった星々が、水面いっぱいに現れました。
まるで空がもうひとつできたようです。
「きれい……」
ミズハは息をのみました。
星は微笑みます。
「これはおやすみの歌。優しい場所だけに聞こえる、ほしのこもりうた」
歌が終わると、小さな星はふわりと空へ舞い上がりました。
そして夜空の仲間たちのもとへ帰っていきました。
その日からミズハは知っていました。
星が映らない夜があっても、空の星たちはちゃんと池を見守ってくれていることを。
だから寂しくはありませんでした。
そして時々、風のない静かな夜になると、水面にはたくさんの星が現れます。
そのたびにミズハは耳を澄ませます。
どこか遠い夜空から聞こえてくる、優しい歌を。
それは今も続く、
ほしのこもりうたでした。