扉を開けると、カッパの司書は、もう本を開いて待っていました。
「いらっしゃいませ。」
そう言って微笑むと、古いページを一枚、そっとめくります。
「今夜は、月が落ちてきた夜のお話です。」

ある秋の夜でした。
川は星を映しながら、いつものように静かに流れていました。
そのときです。
ぽとん。
水音でも、木の実でもない、不思議な音が草むらの向こうから聞こえました。
カッパの少女が近づいてみると、そこには白くて丸いものが落ちていました。
両手ですくい上げると、ほんのりあたたかく、やさしく光っています。
「……お月さまだ。」
夜空を見上げると、本当に月がありません。
ぽっかりと、小さな穴だけが残っていました。
少女は胸がどきりとしました。
「空へ帰してあげなくちゃ。」
月を大切に抱えると、小さな足で走り出しました。
最初に出会ったのは、森のふくろうです。
「お月さまを空へ帰したいの。どうしたらいいかな」
ふくろうは丸いめがねをくいっと持ち上げ、夜空を見上げました。
「山のてっぺんへ行きなさい。
あそこが、この森で一番空に近い場所ですよ。」
少女は「ありがとう」と頭を下げ、山へ向かいました。
山の入り口では、やまびこが遊んでいました。
「てっぺんまでの道を知ってる?」
「しってるよ。」
山が答えます。
「しってるよ、しってるよ。」
少女は笑って、
「ありがとう。」
と言うと、教えてもらった道を、一歩ずつ登っていきました。
転ばないように。
月を落としてしまわないように。
風は少し冷たくて、木々は少女を応援するように葉を鳴らしています。
ようやく山のてっぺんへ着くころには、息は白く、肩は小さく上下していました。
見上げると、星たちがすぐ近くで瞬いています。
「帰ろうね。」
少女は月を両手で持ち上げました。
すると。
ふわり。
月は少女の手を離れ、夜空へ向かって、ゆっくり、ゆっくりとのぼっていきます。
まるで帰る場所をちゃんと覚えていたみたいに。
ぽっかりあいていた空の穴へ、月はぴたりとはまりました。
その瞬間、森も、川も、野原も。
やさしい月明かりに包まれました。
少女はほっと息をついて、夜空を見上げます。
さっきまで少し欠けていた月は、不思議と前より丸く見えました。
うれしかったのでしょうか。
それとも、「ありがとう」と笑ってくれたのでしょうか。
それは、月だけが知っています。
カッパの司書は、本を静かに閉じました。
「月が空にある夜は、不思議と川もきれいに見えるんです。」
そう言って窓の外を見つめます。
川には一つの月。
空にも一つの月。
「だから、このお話が好きなんですよ。」
ランプの灯りが、ページの余白をやさしく照らしました。
今夜もどこかで、月は静かに空を歩いています。