つい先日、風の町アズランを訪れた時のことだ。宿屋の前にひときわ大きな人だかりができていた。
色々な職業で進路相談してふくびき券を集める場所の近くでいつもそれなりに人はいるが、今日は見慣れない女性と変な動物が群衆の中心になっていた。
その女性は、自らを異世界からの迷い人のシャントットと呼んだ。
まるでドワーフかプクリポのような小柄な体格で、肌の色は人間に近く、耳はエルフのように尖っていて、瞳はオーガのように丸く大きく、そして口を開けばウェディのようにしなやかな声で笑うのだった。
シャントットは、私にギザールの野菜を持ってくるよう命じた。……普通、クエストと言うか、頼み事というものは、もう少し「引き受けられやすい態度」で行われるべき行為だ。この世界の外ならばそんな常識もあるのだろうが、しかしアストルティアでは割と日常茶飯事なもので、私はそれを引き受け、内容に耳を傾けた。
「クリスタルピアス」を装備した状態で植物系の魔物を倒すと「ギザールの野菜」が手に入るから、それを「チョコボ」に食べさせて欲しい。要するにそういう頼みだった。
思えば、異世界からの放蕩者という段階で、もう少し危機感を持った方が良かった。これからここに書くことは、冒険の本筋に関係が無く、画面の向こうでは全く知られていない書き散らしだが、この世界に生きる私にとっては忘がたい出来事だった。
耳の重さと冷たさを感じながら、私はゼニアスヘ旅立った。植物系のモンスターならば近くにふゆうじゅなども居たが、なんとなく混みあっていそうな予感がして、ズッキーニャ・祖を狩ったのだ。熟練冒険者のみが行けるレベルの高いフィールドだからか、ズッキーニャの槍が落ちる音と共に、簡単に見慣れない野菜がこぼれ落ちた。
それはとても美しい野菜だった。ギザールの野菜は、見た目はまんまるキャベツに似ていて、聖湖の水とウォルドの朝露に濡れた葉っぱは魔剣士のレイピアのようにピンと立ち、茎はナイトメアリーフ程に肉厚で、ビリジアンカメリアのように綺麗な生き生きとした緑色をしていた。生命の源を拾ったとすら思ったものだ。
そして、アストルティアに戻った後、ほんの些細な、スライムほどの興味から、その野菜を齧ってみた。
今思えば、それが最もやめておくべきことだった。
ギザールの野菜は、不味かった。それも通りいっぺんの不味さでは無い。例えるならば、どくイモムシの絞り汁をさえずりのみつで薄めたような、なんとも言えない甘苦さと強烈な青臭さ。繊維質の葉の飲み込みにくさはネコずなを口に入れたのかと思うほどで、噛めば噛むほどマドハンドのごとく青苦さが押し寄せてくる。
私は噛み潰した野菜と唾液で汚れたハンカチを洗うため、そして何より舌をしまうことすらできなくなってしまった口をすすぐため、沢に向かわなければならなかった。あの時の自分の失態を思い返すと、街の中で食べなくて本当に良かったと思う。
1回や2回すすいだくらいでは、この青臭さは落ちやしない。水で10回は口をゆすいだ後、まほうのせいすいでうがいをし、アモールの水をゆっくり飲み込み、仕上げに道具鍛冶の端材で作った煙管に香草を詰めた。こういう猛烈に苦い口をさっぱりとさせるには、ホワイトウッドのウッドチップに、乾燥させたしおかぜ草と、レッドローズの花弁を少々。これに火をつけて吸い込むと、ようやく口が落ち着いてくる。人間の、それもこどもの体には、生野菜は決して美味しいものでは無いことを忘れていた。ましてや、馬だか鳥だかよく分からない動物に食べさせる餌を、いやしくも口にするなんて……ふう。
……余談だが、この女性が煙管をくゆらせる仕草はとても艶っぽく魅惑的に見えるので、宿屋協会にはぜひ演技指南書を作って欲しいものである。
程なくして一服を終えた私は風の町アズランへ戻ったが、野菜を食べさせたチョコボが鳴くわ暴れるわフンをするわでさらにもう一悶着あった。きっとどの物語でも決して描かれない脇道であろうが、私はあの野菜の苦さを、決して忘れはしないと思う。
どうか忘れないで欲しい。あなたの辿った物語にも、あまたの脇道と、描かれなかったワンシーン、想像で補うことが出来る余地が、多分に残されているということを……。
……というわけで、今回の書き散らしは趣向を変えて「冒険者視点」での文章にしてみました。ドラクエ用語での例え話を考えるのはとても楽しいですね。カメラに写っていないカットや、描かれなかったシーンを妄想して描くことは、俗に二次創作と呼ばれます。「現実の歴史がそうであるように、物語もまた短いカットシーンの連続である」と、作家のボルヘス先生も言っていました。みなさんもなにか思いついたらぜひ。楽しいですよ笑
それでは今回はこの辺で~。また気が向いたら書きますね!