ver2.0のサブタイトルは、「眠れる勇者と導きの盟友」——。
勇者となるべく生まれたどこぞの姫君の眠りを覚ますため、運命に導かれるがまま
我々はレンダーシアに向かうのだ……と、伝え聞く断片的な情報をつなぎあわせると
大体そういうことになろうが、ドラクエのナンバリングで、「勇者」という単語が
入るのは何気にはじめてである。なにやら多くの示唆を含んでいるように思える。
ここにきて、「勇者とは何か」という問いを投げかけているようではないか。
最近はそうでもないが、一時期提案広場は、職業としての「勇者」を実装してくれ、
という声で囂しかった。何でも与えられないと気が済まないのか、と思った。
とりわけ「脱・勇者化」がすすむ近年のドラクエにおいては、勇者という称号は
与えられるものではない。自分を勇者だと思えば誰に構うことなく勇者なのである。
冥王ネルゲルを倒すまでもない、アストルティアに降り立った瞬間からそうなのだ。
作品を一作も世に出さなくとも、名乗ってしまえば立派に漫画家や小説家、
というのに近いかもしれない。骨組みとなる物語に脳内設定を肉付けしていく、
本来ロールプレイングゲームとはそういうものである。
だから何も引け目を感じることはない、堂々と名乗れ。あんたも勇者、私も勇者。
世界は勇者だらけ。……と、これだけじゃなんだか素っ気なさすぎるので、
ちょっと違った観点からの話もしてみよう。
私はシリーズの中で3が一番好きなので、ドラクエ3に準拠した話になるが、
「戦士」「僧侶」「魔法使い」などといった職業は、主人公である勇者を
支える脇役でしかなかった。その存在が後世に語り継がれることもなく、
時の流れに呑まれるように消えていった彼ら(彼女ら)。
それが今やどうだ。一脇役でしかなかった職業が、世界を救う主役である。
熱い思い入れを抱かれて、本職と定める人も数多い。3を遊んでた頃は、
将来、僧侶をやりたがる人がこれほどいるなんて想像もつかなかった。
これはお仕着せの勇者譚なんかよりもはるかに感動的である。