今日はちょっと趣向を変えた話。
具体的な年齢は伏せるが、私の子ども時代、テレビゲームというのは親世代からも
PTAからも白眼視されていた。それはまあそうかもしれない。
それまで、子どもの遊びといえばメンコにベーゴマ、近所の公園での三角ベース……、
そんなところにファミコンが黒船のごとく来襲して、子どもたちが皆、
家にこもるようになったのだから旧世代からすれば奇異に映ったのだろう。
私の家では、プレイ時間は(たったの)30分、友だちが遊びにきたときだけ
もう30分追加と定められていた。それも親の監視下、という制限つきだ。
針のムシロのような状況である。親の目を盗んでやるとひっぱたかれた。
そんなんだからドラクエ2や3はクリアまで何ヶ月もかかったのを覚えている。
時のヒーロー、高橋名人は「ゲームは一日一時間」という名言を残したが、
ドラクエ10なら迷宮にふくびきクエ、日替わり討伐で終わってしまう。
それ以上は何もできない。地雷キッズになる他ない。
私の世代が親となり、今や親子でラズバーンのタイムアタックに挑むというのだから
時代は変わったものである。今の子はとくにプレイ時間も決められてないらしい。
それでいてしっかり勉強もしてるというのだからたいしたものだ。
変な飢餓感をこじらせたまま大人になると、「ドラクエを1からリアルタイムで
プレイしてるんだ」というプライドばかりが高じて、説教めいたことを押し付け、
周りから煙たがられる老害になってしまう気がする(例:私)。
年寄りは年寄りなりの、わきまえ方をするべきなのだろう。若い人とはりあっても
しょうがないという部分は、まず根本が体力。根気強く長時間、素材集めをしたり
コインボスを回したり、というのはどうやってもかなわない。長年の不摂生で、
人並みはずれて体を弱くした身にはつらい。新しい物事を吸収するスピードもちがう。
逆に、古参だからこそできるというのは、行き詰まった時でもこれまでの経験から、
なんらかの活路を導き出せるところかもしれない。あるいはもっと人間的な部分で、
パーティーの空気が悪くなった時などにちょっと気の利いた一言で、
空気を和ませることもできたりする。そのへんは、伊達に馬齢を重ねてるわけでは
ないことを見せつけねばなるまい。他人との絡みという要素が生じたドラクエ10は、
今までより考えることが多くなった。それは哲学じみたベクトルにさえ向かう。
「どんな髭剃りにも哲学はある」との言葉を残したのはサマセット・モームだが、
(村上春樹の受け売り)私は、「どんなドラクエにも哲学はある」と言いたい。
毎日ちがう人と組んで強ボスに通う、たったそれだけのことにも何かしらの
観照は生じる。ここでは、そういうことを今後も書いていきたい。