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ドラゴンスレイヤー

カルドセクシ

[カルドセクシ]

キャラID
: LN778-267
種 族
: 人間
性 別
: 女
職 業
: どうぐ使い
レベル
: 130

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カルドセクシの冒険日誌

2014-06-12 06:18:48.0 テーマ:その他

ビートルズとウィザードリィ

私が思春期をむかえた頃の、世代的にドンピシャな音楽といえば、
ボウイ、ブルーハーツ、イカ天出身の有象無象のバンドといったところだが……
(好きだった人には申し訳ないけど)こういうのは身の毛もよだつほど嫌いだった。

こっちが恥ずかしくなってしまうような歌詞に、ロックの皮をかぶりつつ、
歌謡曲にしか聴こえないメロディー。ロックがいい、歌謡曲がダメということではなく、
どっちつかずなのが許せなかった。イカ天系バンドに至ってはどれもこれも、
コミックバンドにしか思えなかった。音楽に目覚めたばかりの小僧ったれにも、
拒否反応を呼び起こすだけの要素は十分にあった。

それよりも、もうちょっと大人の世界をのぞき見てみたい気持ちだったのか、
一世代上のRCサクセションや大瀧詠一といったあたりを好んで聴いていた。
ここまでなら、「周りとおんなじなのはイヤ!」という、よくある厨二病マインドの
発露といったところだろうが……。

働きはじめ、レコード代ぐらい苦労もぜすに工面できるようになった頃、
ふとしたはずみで買ってみたビートルズ。私は、物事の芯にいきなり、
かぶりつけたような気がした。「イエスタデイ」や「ヘイ・ジュード」は
教科書にも載っていたが、そういう優等生的なイメージにとどまらない、
(ヘイ・ジュードはヤクをガンガンキメながら演奏してた説もあるが)
あまりに豊饒な音楽性にふれた。世界初のラップといえるような曲もあれば、
テープ逆回転で前衛性をうちだした曲、また「ヘルター・スケルター」は
元祖ヘヴィメタルだとする説もある。これらは今の耳で聴いても新鮮だし、
聴きかえすたびに新たな発見がある。

私は国内の、大方のミュージシャンに関心がないのだが、
ビッグネームにおさまってるような人でも、
「しょせんはビートルズが蒔いた種なんじゃないの?」と思ってしまうからである。
ビートルズのほんの上澄みをすくいあげて、無邪気な二番煎じ、三番煎じを
続けているだけなんじゃないかと。私はビートルズならすべてアルバムを持ってるし、
語ろうと思えば一晩中だって語れる。ビートルズの亜流にすぎない人たちは、
好きとか嫌い以前に、聴く必要性を感じさせないのである。

すべての漫画家が手塚治虫の影響下から逃れられないのとおなじく、
ビートルズの影響を直接的、間接的に受けてないミュージシャンなどまず、
いないだろう。それはいったん認めた上で、どう抗って、自分なりの地歩を固めるか。
(佐野元春やフリッパーズ・ギターといった人たちは、先人の影響をあえて包み隠さず、
愉快犯的にふるまったところにミュージシャンとしてのIQの高さを感じさせた)

さて話はドラクエへ。これも堀井雄二という天才が、天地創造した神のように
いきなりポコッと生み出したものではなく、さかのぼると源流は、
「ウルティマ」「ウィザードリィ」にあるといっていいだろう。
この両巨頭が、コンピュータRPG界におけるビートルズ的存在、
と思ってまちがいない。残念ながら「ウルティマ」は今に至るまで、
プレイする機会にめぐまれなかったが、ドラクエ3〜4とほぼ同時期に、
ウィザードリィ(以下、「ウィズ」)の初期三部作がファミコンでリリースされている。

これにはドラクエと同じか、ヘタすればそれ以上にのめりこんだ。
ストーリーは申し訳程度についてるだけで、あとは無味乾燥な迷宮を、
グルグル回るだけのことである。なのにコントローラーを手放せない。
自ら生み出したキャラクターを、とことん納得いくように育て上げる……、
というコンピュータRPGの本質が、そこにはふんだんに、
詰まっていたからではないかと思う。対してドラクエは、
亜流といえば亜流である。しかし亜流のなかでも一番の成功例、
偉大なるエピゴーネン、という言い方もできる。

元来、日本人はオリジナリティには乏しい民族だが、
ときに「魔改造」とも称されるように、何かを日本人向けにカスタマイズする
能力には非常に長けている。その特質が顕著にあらわれたのがドラクエであり、
私の中ではウィズに決してひけを取らない輝きを放っている。

ウィズの時代から遠く離れ、ゲームは複雑化する一方だが、
ウィズのエッセンスを最も引き継いでいるドラクエシリーズは、
なんだか皮肉みたいだけど、この10であるような気がする。
ストーリーをクリアしてからが本番、その後はやりこみ要素に没入していく。
私は部屋にこもって、暗い迷宮をさんざさまよい歩いてた高校時代を思い出す。
ラジカセからは清志郎の歌声が流れてくる。思えばあの頃から、
ゲームに求めるものなんて何も変わっちゃいないのかもしれない。
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