「絆」が大安売りである。
絆ポーカーなんてのが流行ったかと思えば、昨今では運営も一枚噛んで、
仲間モンスターとの絆まで感じてる始末である。でもなあ、絆ってそんなに
軽い言葉だったか、もっと、一生を添い遂げ一緒の墓に入るぐらいの相手に、
並々ならぬ覚悟をもってつかうべきじゃないのかなあ、と思って調べてみたら、
ウィキペディアには予想外のことが書いてあった。
本来は、犬、馬、鷹などの家畜を、通りがかりの立ち木につないでおくための
綱のことで、しがらみ、呪縛、束縛の意味に使われていた。人と人との結びつきを
指すようになったのは比較的最近であるという。浅学にして知らなかったが、
へーそうなんだ。いずれにせよ重みをもった言葉ではある。
私は、どんなに仲の良いフレやチムメンとの誰とも、「絆」を感じたことはない。
不人情というなかれ、個人の意思ではあらがえない次元で、人の関係性というのは
移ろいゆくものだからだ。どんなに愛し合ってる男女でも別れる時は別れるし、
どんなに親しい友人でも、ひょんなきっかけで、理由というほどの理由もなしに、
交流が閉ざされる時はやってくる。それ自体はなんら悪いことではない。
自然の成り行きともいえる。ただ、その程度の関係性に「絆」という大仰な言葉を
かぶせてしまうのが寒々しいのだ。ゆずやコブクロといった連中の、
さぶいぼが立つような寒い歌もそれを後押ししているのだろうか?
取ってつけた「絆」よりも、もっと心を内側からほのかにあたためてくれるのは、
一度顔を合わせたきり、この先二度と会うこともないであろう誰かに損得感情抜きでもらう
「いいね!」であったり、どんな僻地に赴いても、深夜の孤独感をやわらげてくれる
見知らぬ誰かの気配であったりする。それが業者であったとしても人は人、である。
先ほど、「絆」とは呪縛、束縛の意味であった、と書いたが、
ドラクエという括りでなくもっと大きな視点で、現代人は孤独であることを
過剰に恐れすぎてるようにみえる。だから「絆」という言葉を濫用して、
自分は一人じゃない、誰かと結びついているんだ、ということを確認しようとする。
そもそも、それが強迫観念からくる縛りつけなのだ。もっと解き放たれていいのだ。
人はみな、行き着くところは一人なのだから。
私は特定の誰ともつるむつもりはない。気の向くまま、その都度やりたいことをやる。
勝手なようだが、後をつけてくるぬくもりだって、きっとあるのだ。
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なんでもかんでも、言葉にすりゃいいってもんじゃない。「愛してる」さえ万能じゃない、時によっては寒々しく響く。ましてや愛という言葉を使うのも憚られ、細い糸を手繰り寄せるようにして生きる僕らは。どうか絆なんて、お仕着せの言葉で呼ばないで。言葉にした瞬間ぷつり、と切れてしまいそうだよ。