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ドラゴンスレイヤー

カルドセクシ

[カルドセクシ]

キャラID
: LN778-267
種 族
: 人間
性 別
: 女
職 業
: どうぐ使い
レベル
: 130

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カルドセクシの冒険日誌

2015-02-19 00:46:14.0 2015-02-19 01:25:46.0テーマ:その他

感じすぎないこと

すごく大ざっぱな印象を述べると、今の若い人たちは「感じすぎる」のではないかと思う。
あるいはそれが若さ、ということなのか……? 振り返れば私が「若者」と呼ばれた頃は、
もっとノーテンキに過ごしていた気もするのだが。
若年層に人気の、SEKAI NO OWARIなんかにしたって、感じやすさのトゲを、
ひたすら全身に逆立ててるような音楽、という印象がある。トゲは自らの肌を傷つける。

時がうつろうにつれて、誰かと別れる。それはある意味ではごく自然なことなのに、
まるで自分にすべての責があるかのように自傷的な気分にひたる。だから、なおさら、
「絆」などという実体のないものにすがりついてしまう。

しかし、あえて大上段に構えた言い方をすると、人生とは何かを拾い集めた分、
何かを捨てていくことなのだ。とくに、こればかりは断言できる数少ない真理なのだが——、
男と女の別れで、どちらかが100パーセント悪い、なんてことは絶対にないのだ。
生きることに「コツ」があるとすれば、それは敏感さと鈍感さを、
うまくつかい分けることではないかと思う。切りつけられても傷つかない、
泥のような気持ちでいればいい。そうすれば自分に向けられた、悪意や中傷の刃も、
どこか傍観者的な視点でやりすごすことができる。私もご立派な人生を歩んできたわけでは
ないけれど、馬齢を重ねた分、若い人に何か言えることがあるとすれば、そこである。
(一昔前に「鈍感力」って本が売れたけど、同じ意味でつかってるかどうかは知らない)

家族と過ごす時間を大事にしたい、だけどドラクエも中途半端にはできない、
という狭間で悩んでいるチムメンがいる。何度となく引退という選択肢も頭をよぎる。
そんな彼に、「マイペースで両立させたらいいじゃない」などと親身に声をかけるような、
チームリーダーとしての責任感というか使命感は、良くも悪くも私にはない(笑)。
一度やりはじめたら、マイペースじゃ済まされないのは私も同じなので、
気持ちはよくわかるのだ(笑)。それに家族のことがからんでくると、
こればかりは外野からどうこう口出しできる問題ではない。

この先、彼がどういう選択をしようと、それを心静かに受け止める——、
それが唯一、私にできることだと思う。どういう活路があるか、
一緒に思い悩んでもしょうがないのだ。時が経ち、帰りたくなったときに
帰れる場所がある。その旗印を守っていくことだけが、私の道なのだ。

結局のところ我々は「終わり」に向かってつき進んでいるのだけれど、
別れとは、すべてが終わってしまうことではないのだ。
絆とはとうてい呼べない、ほんのまばたきほどの人生の交錯を、
いまわのきわまでポケットに忍ばせてあたためていればいい。
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