目下、いちばんの楽しみといえば王家の迷宮で手に入れためざめの秘石を、
手持ちのベルトとかけあわせて、どんな合成効果がつくかである。
おおっとなる効果がつくこともあれば、まったくの蛇足でしかないこともある。
局所的につかえるベルトはどれも+4にしてしまったが、
とりあえずこれ一本あれば、どこへでも行けるというエース級のベルトがなかなか、
手に入らなかった。しかし、このたび、候補となるベルトを入手できた。
光の特技の攻撃ダメージ+10%、炎の呪文の攻撃ダメージ+6%、
開幕18%マホキテ、という内容だ。ドラクエ10でもっとも汎用性の高い光特技、
それも最高値だ。これは攻撃力+10よりうれしいかもしれない。
アポ棍をもった武闘家、旅芸人にもいいし、ライトフォースの使い手魔法戦士には、
これまたシャイニングボウ、ギガブレイクといった強力な光属性技がある。
マホキテは……どちらかといえばマホトラのころものほうが好みだが、
魔戦向きではあるし、ヘルバトラーなどにはうってつけである。
(炎呪文6%はまったく余計でしかないが、まあ贅沢もいえない)
とにかく、この光特技10%というだけで、ベルト何本分もの価値がある。
すぐさまめざめの秘石をつかってみる。すると……これまた最高値、
開幕20%メイクアップがついた(笑)。ヴァイパーコート一式のセット効果の
おいしいとこ取り、いってみれば仮想ヴァイパーである(笑)。
これは今後、おしゃれ方面にもますます磨きをかけねばなるまい。
■ ■ ■ ■
強ボス黎明期は、いまよりずっとシビアな時代だった。
中でも強天魔は、並みいる挑戦者たちをことごとく蹴散らした。
眠りガードなどの耐性装備がなければまともに太刀打ちできなかった。
いまでこそ、とくにピラミッドや試練の門はキラポン前提の戦いになっているが、
(試練でいちいち着替えてたら、それはそれで迷惑である)
当時はキラポンまで振れてる僧侶もそう多くはないし、振れていたとしても
ばらまくだけの余裕もなかなかない。各自が耐性装備をそろえるのが大前提だった。
戦闘に不慣れだったり、技量が足りなくて負けるのはある意味しょうがない。
しかし強戦士の書もない頃、遠いボロヌス溶岩流くんだりまで来て、
耐性の不備につけこまれて負けるのは私にはがまんならなかった。
戦闘前に仲間の装備をのぞきこんでは、「眠りガードないけど大丈夫?」みたいな、
棘のある言葉を飛ばしたりもした(笑)。あの頃の私はかなりトゲトゲしてたと思う(笑)。
そもそも、なぜボスは耐性装備が必要になるような、状態異常攻撃をしてくるのか。
どこへだって一張羅で行けたらいいじゃないか。運営はなぜ、七面倒くさいことを
ユーザーに押し付けてくるのか。それは耐性装備をつくる、職人需要を喚起するためである。
経済ゲーとしてのドラクエ10を成り立たせるためである。そういうのには俺は与しないよ、
俺は従来の延長線上でドラクエを楽しみたいんだけなんだ、という人がいれば、
それはそれでひとつの見識ではある(三悪魔では組みたくないが)。
たとえばヘルバトラー。いまの私は、自分では呪い、混乱、幻惑、転びの各耐性を
バッチリ揃えるが、仲間の装備をいちいちのぞきこんだりはしない。
「もし耐性に不安があれば、開幕弓ポンします」と言う。これなら誰も傷つけない。
そう言えるようになったのは、強くなったからだと思う。
自分のことだけでいっぱいいっぱいになっていたあの頃とはちがう。
僧侶が不慮の死をとげたら、復活の杖だってある。見た目の数値にはあらわれない、
「どんな状況にも柔軟に対応できる」魔法戦士としての強さを追い求めた結果だ。
それを見て、耐性なしマンがどう思うか。「僧侶や魔戦に負担をかけっぱなしでは
申し訳ないな。すこしずつでも、耐性をそろえる努力をしよう」と思うか、
はたまた何も思うところはないか。そのへんは結局、流れにゆだねるしかない。
やさしくなりたい。やさしくなるためには、斉藤和義も唄ってるように、
やはり強くなるしかない。元来へそ曲がりであまのじゃくな性格が災いして、
やさしくあるべきところで、それが私はできないでいた。実に多くのものを失ってきた。
それでも取り返しがつかないとは思いたくないんだ。