私には、「故郷」と呼べる土地がない。生まれてからいろんな場所を
転々としてきたからで、どれも仮住まいというべきものだった。
だから「あなた田舎はどこ?」と訊かれるたび、返答に窮してしまう。
初対面の人はだいたいそういうことを訊いてくるが、そんなんだから
話がひろがらない。「いやあ、とくに田舎というものは……」と、
妙にお茶をにごして苦笑いをうかべる他ない。故郷がなくて困ることのひとつだ。
都会で夢破れ、尾羽打ち枯らして帰ってきても、
あたたかく迎えてくれる人たちがいるのはうらやましいと思う。
また、故郷が災害でうしなわれ、帰る場所もなくなった人たちの悲しみ、喪失感を、
もうひとつきちんと理解できていないんじゃないか、という自問自答もある。
東日本大震災から四年になるが、あの悲しみを、私はほんとうに共有できていたのか?
どこか他人事のようにとらえてる自分がいやしないか?
故郷なんてそもそも、私には無縁のものだったから。
心のより所のない自分がなんだかわびしい存在に思えてくる。
そんな私にも、疑似的にではあるが、故郷とよべる場所ができた。
レーンの村と、エテーネの村である。
ネルゲルに滅ぼされたエテーネの村は荒涼として、まるで震災の跡地を見るようだが、
対照的にレーンの村はいつもおだやかな空気に包まれている。
村人たちは「よう、帰ってきたか」という感じで事もなげに迎えてくれる。
震災の被害に遭った人たちとはくらぶべくもないが、
私の中にも、故郷への愛着、うしなった故郷への哀悼といった感情が芽生えてくる。
まだドルボードもなければ、故郷の石ももらえてない頃、
「里帰りプレイ」と称してジュレーの洞くつをくぐり抜け、
えっちらおっちらとレーンの村まで走ったことが何度もある。
とくに目的があったわけではない。単純に暇だった、というのもあるだろう。
しいていえば、それは何かの確認作業だったのかもしれない。
必ずしもそれが「故郷」である必要はないにしても、
熱すぎず冷たすぎず、おだやかな熱を放つ存在を心は求めているのだ。
それを守り抜こう。たとえうしなっても、想いまでは絶やさないでいよう。
震災の日にそんなことを思った。