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ドラゴンスレイヤー

カルドセクシ

[カルドセクシ]

キャラID
: LN778-267
種 族
: 人間
性 別
: 女
職 業
: どうぐ使い
レベル
: 130

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カルドセクシの冒険日誌

2015-03-24 13:37:50.0 テーマ:その他

無言の会話(1)

将棋マンガ「ハチワンダイバー」の第1巻。私が一番好きな、全編中でも
白眉といえる名シーン。主人公・菅田のアパートに受け師さん(ヒロイン)が訪れる。
出会ったばかりの二人にはかわす会話もとぼしく、重苦しい空気がたちこめる。
そこから、空気をうち破るかのようになぜか目かくし将棋がはじまる。

「7六歩」「3四歩」「4八銀」……

——“目かくし将棋”とは盤も駒も使わず頭の中で将棋を指す、尋常ではない業

——局面が進むにつれて、将棋というゲームはどんどん局面がややこしくなっていく

——脳のどこかが切れてしまいそうな複雑で膨大な変化を視感抜きで読む……

——でも僕は、彼女とすごく深く 話をしている気分だった

——将棋に取り憑かれた人間のみができる会話


ヘボな私でも、将棋を指す人間のはしくれとしてこの感じ方はよくわかる。
将棋は勝負事だが、それ以上に「棋譜をつくりあげる共同作業」といった側面がある。
その中では無言のうちに会話が生まれる。プロ棋士の対局などは、
我々常人には計り知れない、将棋に人生を捧げ尽くした者同士の会話が
繰り広げられているのであろう、と想像する。

将棋というひとつのルールが塔のように美しくそびえ立っていて、
その周りを螺旋を描きながら飛び交う人生がある。そういう絵面が私には浮かぶ。
これは何も将棋にかぎった話ではない。たとえば野球選手がキャッチボールをするとき。
力のこもった球を受けた瞬間に、これまでのつらく苦しい練習が偲ばれ、
相手の人生までもが胸の内に流れ込んでくる心持ちがするのではないだろうか。
これもまた、無言のうちになされる会話だ。

私にとっては、ドラクエ10のPTプレイもまたひとつの「会話」である。
そもそも私は、配信クエなどひとりで済ませられるものはちゃっちゃ、と
ひとりで済ませたいほうである。「相方さん」なんぞとキャッキャウフフしながら、
なんてのはまっぴらごめんだ。でも強ボスなどは、いまや弱ボスと化した新旧10種でさえも
人と組んで行くほうを好む。サポだとまったくの作業になってしまうからだ。
そこにはドラクエ好き同士だからできる会話がある。私はあいさつ以外は終始、ほぼ無言だが、
波長のあう人との戦闘はアドリブがさらなるアドリブを呼んで、思いがけないような
あざやかな連携が取れたりする。無言の会話が思わぬ境地へといざない、エクスタシーを生む。
チンパンジーのように飽くこともなく来る日も来る日も強ボスに通うのは、
そういう人たちとの一期一会の無言劇を楽しみたいからでもある。

まあそんな感じだから、私は目の前に譜面台を置いて、譜面どおりキッチリ演奏する、
いわばクラシックのオーケストラのようなやり方は好きではない。戦闘前に示しあわせた、
テンプレをなぞるだけの戦闘には興味をそそられない。それでは結局ただの作業だ。
それよりも適度に脱線した、アドリブの応酬が化学反応を生んで思わぬ高みへといざなう、
ジャズバンド的なやり方にひかれる。クラシックとジャズ、どっちが高等だという話でもなく、
要は個人的な好みなのだが。将棋にしてもガッチガチに定跡をなぞるのはきらいだ。
テンプレをなぞってばかりいると、ひとたびそこから外れたとき、
オロオロするだけではないか。あえてドレアムさんや強ボスに旅芸人で行こうとするのも、
化学反応を呼び起こすためのひとつの試みである。

(続く)
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