SNSでは「嫌いな人、合わない人は切ればいい。あなたの心を守るために」
みたいなことが養生訓めいた調子で語られる。
それはその通りだと思う一方で、今までさんざん切られてきた側である
私には肯けない部分もある。そもそも、なぜ切る切らないという話になるのか。
我々は薄くつながってることも可能なんじゃないか。
何年も行けてなくて、不義理してる飲み屋のマスターにバッタリ会った時、
「◯◯ちゃん(私の本名)は切れないよ、前はよく来てくれたからね〜」
と(おそらくはお愛想のつもりで)言われたのだけど、
まるで「切る」ことも選択肢にあったかのような話しぶりに、
こちらとしては困惑してしまった。
ツイッターには「相互フォロー」という関係性がある。
解釈はさまざまだろうが、ネット上の友人関係ととらえる人もいる。
だからリムーブ、ブロックされて「相互フォロー」が途切れると
絶交されたとばかりに怒る人もいる。これはこれでちょっと、
「相互フォロー」の関係性に執着しすぎだとは思うのだけど……、
「フレンド」だの「相互フォロー」だの、なまじ関係性が可視化されて
フォルダ名までつけられたばかりに、我々が毒されている部分はあると思う。
(なお私のドラクエ垢は鍵垢ですが、ドラクエX関係の方の
フォローリクエストは過去に何があろうがなかろうが、
100%受け付けています。相互フォローという関係性に
こだわってるわけじゃなく、人間関係の可能性を
閉ざしたくないだけの話です)
その上であえて言う、「フレを整理する」なんてのは
SNS時代の瘴気にあてられた、悪しき言葉だと思う。
自分が整理対象に入ってなくても、倉庫の仕分け作業のような物言いには
「私たちはモノじゃない」と毒づきたくなる。
切られることよりも魂が傷つくのは、モノ扱いされることだ。
この人は他人をモノ扱いするんだ、と満天下に知らしめるという点では
非常にうかつな言葉でもある。何も「整理」するな、
と言ってるんじゃない。黙ってやればいいのだ。
時として沈黙は雄弁にまさる。