私は「価値観は人それぞれ」という考え方が実は好きじゃなかったりする。
たとえば将棋には「見る将」といって観戦に重きをおくファン層がある。
その中には、ルールもわからないのに(!)対局での棋士の所作を眺めて、
それで十分楽しめるのだと主張し、かたくなに
ルールを覚えようとしない人たちもいる。
だけど、そんなわけないと思うのだ。ルールを知っていたほうが、
素人なりに自分でも指せるほうが、もっと深く楽しめるに決まっている。
こういうのを価値観の多様性とは呼びたくはない。
自分が変わりたくないだけじゃないか。
「みんな違って、みんないい」なんて言葉の裏に縫い付けてあるのは、
保守性であったり、頑迷固陋さであったりはしないか。
まあ、皆が各自のあり方を模索した結果、「価値観は人それぞれ」
という状態に落ち着いてしまうのはこれは仕方ない。
だけど少なくとも、価値観に序列はつけてしかるべきだと思う。
一本筋の通った「これが正しい価値観」と呼べるものがないと、
社会は価値観が錯綜して混乱に陥ってしまう。
もちろん、自分の価値観に正当性はあるか、偏っていないか、
もう一人の自分という視点から、常に疑ってかかる態度は大事だ。
だけど「価値観は人それぞれ」という玉虫色の言い訳に逃げて、
「俺の意見にこそ絶対的な価値がある」といささかも信じてない人の話を、
誰が聞きたいかね?と思うのだ。
この日誌ではかなり私自身の価値観を前面に押し出している。
かといってゴリ押ししているつもりもない。何かしらの参考にしてくれる人は
すればいいし、読む価値もないと思えばきびすを返せばいいだけだ。
そこは「人それぞれ」としか言いようがない。