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ドラゴンスレイヤー

カルドセクシ

[カルドセクシ]

キャラID
: LN778-267
種 族
: 人間
性 別
: 女
職 業
: どうぐ使い
レベル
: 130

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カルドセクシの冒険日誌

2022-01-18 18:17:41.0 テーマ:その他

水島先生ありがとう

野球漫画の巨匠、水島新司先生の訃報を聞いた時には、
すぎやまこういち先生に続いて思わず「ああ」、
という声が出てしまった。長年親しんだクリエイターが亡くなることの、
喪失感は計り知れない。人が生きることは、そういった喪失感を吸い込んで
いくことでもある。だが、私は「残念です」という言葉を
吐き出したくはない。常套句ではあるがなんかこう、
人生の幕引きにケチをつけているような響きもある。
残念でない亡くなり方って何なんだよ、と思う。
私は私なりの言葉で、水島先生への追悼を綴ってみたい。

これは先生自ら語っていたことだが、「ドカベン」には
「巨人の星」など努力、根性を押し出した悲壮感あふれる
スポ根漫画への、カウンター要素が多分にあった。
「野球とはもっと楽しんでやるものじゃないのか、それを俺は描こう」
と思ったわけだ。連載当初はまだ日本が貧しい時代だ。
主人公の山田太郎一家は長屋住まいだし、貧乏からくる湿っぽさや、
そこから這いあがろうとする努力が描かれないわけではない。
しかし、努力第一、努力原理主義の漫画ではない。
重いコンダラを、血の汗と涙を流しながらひっぱったりしない。

それは言動これすなわちギャグメーカーの岩鬼や、
飄々とした殿馬のキャラ造形にもよくあらわれている。
登場人物たちはタフな状況におかれながら、それを感じさせない
小粋な会話を交わしあって、ステップも軽やかに生きている。
「ドカベン」は当時としては新感覚のスポーツ物だったのだ。

私が究極の装備を揃えたり、(それなりの)財を成したことを、
努力の結果だ、ととらえる人もいるかもしれない。
しかし、私の中では努力したという感覚はまったくない。
どうやったらゴキゲンでいられるか、自己満足の名のもとに
楽しんでプレイしてたら行き着いた場所に過ぎない。
私はゲームに努力とか根性とか向上心とか、そういったものを
絡ませたくないのである。少しでも絡みだすと、
それはゲームとは違う別の何かになってしまう。

ましてや、他人にもそういったものを求めるのは、
私の感覚からするとかなり違和感がある。まあこんな感覚は、
ハイエンドバトル勢界隈では通用しないので距離をおく
羽目になってるのも確かなのだが……。確率というものを
正しくとらえることは大切だが、錬金も求道的に
おやりになる必要はないと思う。「錬金が好き」、
そういう気持ちだけでできるものだからだ。

努力を努力とも思わずに、ゴキゲンに軽やかに生きていたい。
それが「残念です」などという残念な言葉に成り代わる、
水島先生への感謝を結晶にした気持ちなのだ。
——感謝しかない?そんな持って回った言い方はしない(笑)。
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