「最強伝説黒沢」の第一話で喝破されていたことだが、
オリンピックやワールドカップに「感動」などないのだ。
プロ野球にもボクシングにもカーレースにもない。
なぜなら他人の戦いだから。そこに首を突っ込んで、
うつつを抜かしてられるほど人生は長くない。
感動があるとすれば、「自分の戦い」をおいて他にない。
だから私はどんなにスケールは小さくても、自分の戦場で
奮闘している人が好きだ。何でもいい、パチンコでも、縁台将棋でも。
ドラクエXで戦闘民族といえば大体、ハイエンドバトルに
通いつめてる人を指すが、拡大解釈することも可能だと思う。
ドレアだってハウジングだって、美的センスの競い合いという側面はある。
「お手手つないでみんな仲良く」みたいなのも悪くはないが、
何事も戦いと考えたほうが私は気持ちがシャキッとする。
だから冒険日誌も、書いてる間は「自分こそがアストルティアの文筆王じゃあ!」
と鼻息も荒くしながら熱情をたぎらせている。
もちろん文章なんてものは、明確な勝ち負けの基準などなく
勝利も敗北もない孤独なレース(©︎ミスチル)をゆくものだから、
書き上げてみれば自己満足がそこにあるか、追求できたか、
でしかないわけだけど。
不思議なもので人間には、死力を尽くして戦った相手とは
仲良くなれる、という性質がある。昔のヤンキー漫画の、
「タイマン張ったらダチ」みたいなもんだ。
他人の応援ばかりに人生を捧げている人には、
そこはちょっとわからないのではないか。自分の戦いに身をやつす人間は、
余裕がないようでいて案外、心は晴れ晴れとしているものだ。
勝つことはもちろん目指しているのだが、究極目標ではない。
勝っても負けても、自分の土俵で自分の力を出し尽くす、
これが大事なのだ。精魂尽き果てあお向けとなり、
見上げる空はどこまでも青いだろう。