「風潮」とか「ブーム」とか、基本的には何もないところから
話を作り出すための便利な言葉に過ぎないと思ってるんだけど、
(アニメブーム、なんてほぼ実体のない言葉でしょう?)
やっぱりこれだけは言いたい(笑)。「絆」って大安売りされてる風潮ありませんか。
運営まで一枚噛んで絆のエンブレムなんてのを搭載し、
ペットとの絆を感じさせてる始末でさ。
絆、の意味を辞書で調べてみるとこうある。
「本来は、犬、馬、鷹などの家畜を、通りがかりの立ち木につないでおくための綱のことで、しがらみ、束縛、呪縛の意味で使われていた。人と人の結びつきを指すようになったのは比較的最近である」
なんとスクリーマデリカであったのだ。私のマイタウンは、
絆タウンだった(笑)。現代人は孤独を過剰に恐れている。
だから絆という言葉を濫用して、過剰なまでに結びつきを
確認しようとする。身も蓋もないことを言えば、
各種SNSも結びつきを確認するための舞台装置だ。
でもそれは強迫観念からくる縛りつけであり、
「絆」が本来もつ意味ともリンクしているように思える。
まあそんなこんなで、昨今のJ-POPなんかは絆の大安売り、
大見本市といった様相を呈しており、まともに聴いてられないな、
という感じなんだけど中にはキラリと光る、
「絆」の使い方をしてる曲もある。それがアニメ「けいおん‼︎」の
エンディングテーマであった「No, Thank You」だ。
この曲はBメロとサビの橋渡しをする部分、いわゆるブリッジが
「ワタシタチノカケラ」「ワタシタチノツバサ」、
「ワタシタチノキズナ」とそれぞれ片仮名で表記されている。
まるで「カケラ」という卵から「ツバサ」が孵化して、
「キズナ」として飛び立つような一連の光景が浮かぶようだ。
これがアニソンかよ、というエッジの効いたサウンド、
ギターリフが想像力のスピード感を増幅していく。
別メロに転じ、終幕に向けていよいよ大盛り上がりという場面で
歌われる「ワタシタチノキズナ」、これはもうどうしようもなかった、
他に言葉の選びようがなかった、という切実さがあふれ出ている。
その「キズナ」が実はもろいものである、という自覚を
内包しているようでもあり切ない。
直後に照れ隠しのように「No, Thank You‼︎」と絶唱するのがまた良い。
(作詞家の意図はどうあれ)キズナ、という言葉に概念に
ノーサンキューを突きつけているという受け取り方もできる。
とにかくこの曲は楽曲と歌詞、それにまつわる世界観が、
非常に高いレベルで融合しているのだ。
ここ二十年ほど、J-POPや邦ロックに分類される音楽で
ハッとさせられたことがほとんどないのだが、
先鋭的な才能はアニソンやボーカロイド、ゲーム音楽といった
分野に堰を切って流れているのかもしれないと思った。
私が無意識のうちに絆タウンと名付けてしまったように、
我々は社会に張りめぐらされた絆から結局は逃れることはできない。
それが必ずしも悪いことでもない、ノーを打ち消した
「サンキュー」という言葉を潤滑油に使ってればいい。
でも時には魂を解放するかのように、ノーサンキュー!と叫んだっていいはずなのだ。