輝晶獣ではない。90年代に燦然と輝くマスターピース、
人によっては漫画史上最高傑作とも言う作品である。
このあいだ漫画アプリで無料キャンペーンみたいなのをやっていて、
久しぶりに全巻読み通したらやっぱり面白かった。
(以下はネタバレにならぬよう、未読の方のために慎重に進めていきます)
環境問題を考えた時、人類こそが最大のガンであるという
テーマ自体はそこまで珍しいものじゃない。
しかし、それを誰も見たことがないようなSF作品に
昇華する発想と技量はすごい。作者は当時、30代前半の若さである。
田宮良子のような一見ヒール役も、彼女の思考や哲学を
掘り下げることで、読者がついつい感情移入してしまうような、
魅力的なキャラクター造形に成功している。
ドラクエXでも、魔界編はヴァレリアはじめ、
みんなキャラが立っていたから引き込まれてしまったというのはある。
魅力的なキャラがひっぱるストーリーは面白い。
それに比べて天界編は……いややめとこう。
カルドセクシ、というキャラクターは新一の右手に宿った、
ミギーのようなものだな、と思うことがある。
分かちがたい存在ではあるのだが、現実のどこまでも冴えない私に対して、
すごいことをやってのけるし、最近は人格も別のようになってきた感がある。
使い分けてる意識はないのだが、やはり現実の私と
「カルドセクシ」の私はどこか違う。どちらが本当の私だ、
ということでもないのだが、十年近くつきあってると
こんな感覚になるのかなあ、とも思う。
この先、あと何年このゲームを続けるか(続くか)わからないが、
「カルドセクシ」の私に飲み込まれたくない、
という気持ちも私にはある。ドラクエではそこそこすげえんだぞ、
とイキってみたところでしょせんは張り子の虎である。
ゲームのキャラにとどまらず、組織とか肩書きとか、
なんとなく強そうなものにすがって生きたい気持ちは誰にでもあるだろう。
でも、それはただの「寄生」だ。一方的に飲み込まれないよう、
かといって愛着も失わず、今後も寄り添って生きたいものだと思う。