SNSでは何もかもが「過剰」だ。
続々とシェアされ、なだれこんでくるのは「成功」「勝利」、
「自己実現」といった前のめりなキーワード。講師役の成功者が、
はりついたような笑顔を浮かべてセミナー参加を呼びかけてくる。
定員まであと少しですよ、この機会をお見逃しなく。
舌なめずりが聞こえてきそうだ。まともじゃない、と思う。
限られたパイを奪い合うこの世界で、声高らかに成功を謳うのは、
そのぶん他人を蹴落としたい、と言ってるに等しいのだ。
しかし、ここでハッと思い直す。幸せの大半は金に依るのも
社会の常である。そういうことにこんな歳まで、
真剣に向かいあってこなかった自分のほうがまともじゃないのだ。
それでも冬を越す蓑虫のように、この世界の片隅にへばりついて
生きてかなきゃならない。SNSなんてやらなきゃいいじゃん、
と言ってしまうのは簡単だけど。
失敗して、傷つく時はどうやっても傷つく。
それでもダメージを最小限にして切り抜け、ゆるゆると
私を生き長らえさせてくれたものは何か、と考えた。
それは成功者たちが掲げる金科玉条ではなく、
がんばれ負けるなと押しつけがましい応援歌でもなく、
影のようにそっと寄り添ってくれるような、
つまずいてもやさしく抱き起こしてくれるような、
そんな音楽であり詞だった。するすると記憶の糸をたぐり寄せると、
もう何年も聴いてなかった小沢健二の「天使たちのシーン」、
この一曲が胸に飛び込んできた。
「神様を信じる強さを僕に 生きることをあきらめてしまわぬように」
この曲は、すべてがこの一節を聴かせるために構成されてると言っていい。
心の一番やわらかい部分にすとんと落ちて、沁みわたるような一節。
「神様」と歌われているが、たぶん信じるものは何でもいいのだろう。
ならば私は成功者に人生を預けて、成功のお膳立てをされるのではなく、
つたない生き方でも自分自身を信じようと思った。
教会や雲の上にいるのではない、神様は自分の中に宿るのだ。
この日誌で、小石のように投げかけた言葉が誰かの胸に、
波紋となって広がればそれもまた、神様と呼べる時間だ。
誰もがセルフブランディングに明け暮れる、高度消費社会から
つまはじきにされようとも。信じるものがひとつあれば、
なんだかんだで人は生きていける。