私の母はいわゆる「読書家」ではあったが、家にある本はほとんどが、
おばさんが好んで読みそうな湿度の高い日本のおばさん小説ばかりで、
十代の私が積極的に手に取りたいと思えるものはなかった。
今思うと私が読みたかったのは海外の大陸的で骨太な文学や、
国内でも野心的な気鋭の作家の文学だったのだが、
幼い私にはそんな指向性を自覚するすべもない。
「さあ読め」とばかりにおばさん小説に取り囲まれる状況はなかなかにつらく、
母への反発とあいまって十代はほとんど読書と無縁で過ごした。
親元から離れ、二十代になり本を買う小銭にも不自由しなくなってくると、
自分の中で指向性が定まってくる。「私が読みたかったのはこういう本なんだ」、
という小説に数多出会う。こうなると自分でも書きたくなってくるものだが、
失われた十代を過ごしたせいか、私に小説を書く才能や素養は、
あまりなかったようだ。才能があろうがなかろうが、
踏みとどまってあがくのも人生の選択肢だろうが、
さっさと見切りをつけて次を探すのも手である。
しばらくは雌伏の時であったが、三十代で出会ったツイッターで、
私は天啓を得たのであった。
ツイッターには140字という文字数制限がある。
普通に考えればビジネス的な情報を、手短かに流す手段にしかなりえない。
しかし私に舞い降りた天啓は、開発者がついぞ想定しなかったような
使い方だった。俳句や短歌が文字数制限のある文学であるように、
ツイッターも140字の文学を表現する場にしてしまうのだ。
(ざっくばらんにいえばポエム、である)
これは私も想定外の追従者を生み、一大ムーブメントになった。
全盛期には私のフォロワーは三千人を超え、オフ会には
現役JDやJKまでもが駆けつける我が世の春となった。
どうも私は文字数制限の枷がある表現方法と相性がいいようだ。
制限があるからこそ、かえって工夫が生まれる。
濾過することで雑味をとりのぞき、高い純度を抽出した表現ができる。
冒険日誌も2000字制限だから、ギリこの中に入れてもいいだろう。
そのムーブメントも下火になった頃、出会うべくして私は俳句に出会った。
俳句は母がたしなんでいたものだが、昔はおばさんの趣味ととらえて
べつだんの興味もなかった。きっかけは「プレバト」というテレビ番組だ。
夏井いつき氏という俳人が講師となり、タレントの下手な俳句をこき下ろして
見事な添削を加えるのを見て、こりゃ面白い、となったわけた。
母にそのことを伝えると、彼女も熱烈な夏井氏のファンになった。
水と油のようにまじりあわなかった母と私は、
何十年という時を経てはじめて俳句という趣味を共有したのだ。
乗ってくる人もあまりいないだろうし、こじつけも甚だしいのだが、
ドラクエXと俳句の親和性も悪くないものでは、
と考える。アストルティアには思わず一句詠みたくなるような、
風光明媚な自然の数々がある。五七五のたった17文字なので、
チャットなどでシェアするのも容易だ。俳句を詠み合う
イベントが開催されたなら、私は何を置いても駆けつけるね。
ここで春夏秋冬から一作ずつ、下手のたしなみではあるが拙作を披露する。
・早梅や濡れて参ると半平太
戯曲「月影半平太」の本歌取りである。「春雨じゃ濡れて参ろう」というセリフがあるが、傘をさすほどでもない雨の中で水滴をしたたらせた早梅が実っている。立ち止まって雨に濡れてしまおうとも、そのみずみずしさに見惚れてしまう心境を半平太に託した。
・白シャツの乾きも早し蝉時雨
ただの「時雨」だと洗濯物は濡れてしまうが、「蝉時雨」とすることで蝉がワンワン鳴いている日差しの強い夏の午後を想起させる。時雨と蝉時雨、の対比感がミソだ。「Tシャツ」より「白シャツ」のほうが視覚的にも鮮やかと判断した。
・野分過ぎカラスも我も宿は無し
野分とは台風のことだ。以前に床上浸水の大被害をくらって、寝る場所もなくなり台風一過の街を茫然と歩いてた時に、一羽のカラスを見かけた。「カラスよ、お前も巣を吹っ飛ばされて宿無しなのか」と語りかける気持ちを詠んだ。その時は絶望感で一杯だったがこの一句ができたのがわずかな救いになった。
・米研ぎて冷えし手に染む蜆汁
し、し、しと韻を踏むグルーヴ感満載の一句である。冬場の米研ぎは何かの罰ゲームかってほど冷たくてつらいが、それだけに温かい蜆汁の味は格別。聴覚、触覚、味覚と(俳句の基本ではあるが)いろんな角度で五感へのアピールを試みている。