いいね!の多寡にこだわるわけではないが、どのような日誌が
耳目を集めているのかはやっぱり気になるので、
たまには交流酒場からたどって読みに行く。それで思うのは、
私って「いい人と思われたい欲がなさすぎ」ということだ。
どこまでが天然で、どこまでが計算かはわからないけど、
人気のある人ってのは「いい人」に見られるように
セルフプロデュースしている。建前をうまく使いこなしている。
これは全然、批判なんかじゃない。なんとなく建前はイカン、
本音で語るのが良しとされているが、実際に社会を動かしているのが、
圧倒的に建前であることはすこし社会人経験のある人ならわかるはずだ。
常に本音100パーセントで生きてたら、その人はまずまともな社会生活を
営めなくなるだろう。その前に頭がショートして自爆してしまうか。
この日誌にしたって、パブリックな場で公開してる以上
基本的には建前である。セルフプロデュースが下手すぎて、
人様に聞かせるようなものではない、生々しい本音が
漏れ出てしまってるだけのことだ。「いい人」はあきらめるにしても、
建前と本音の使い分けにはいつも悩む。どうしたら伝わるのか、
いやこれでは伝わるものも伝わらない……結局は堂々巡りだ。
椎名林檎は「あたしの思想を見抜いてよ」と痛切に唄ったけれど、
いつか白馬の王子様のように、自分のすべてをわかってくれる人が
あらわれる、という希望は誰の胸の内にもある。
だけど歳を重ねれば、それは幻想だということが身に沁みていく。
我々は建前という盾をかかげて生きるしかないからだ。
おそらくすべての人は「誰一人として自分のことを本当にはわかってくれなかった」
という思いを抱いて死んでいくのだと思う。
それは救いのない話だろうか。いやいや、救いだともいえる。
そこには貧富の差も何もなく、みな平等に与えられた孤独なのだから。