この日誌は気にくわない言葉を取り上げてくさしてばかり、
と思われるのもアレなので、これからは「いい言葉」も
取り上げていこうと思います。
「また明日」って何気なく使うけれど、これはいい言葉だと思う。
いわば軽い約束だが、いろんな不確定要素が重なって
約束が果たされないことは往々にしてある。
極端な話をすれば、明日突然死んでしまうことだってある。
それでも我々は、約束ともいえない約束を交わすことで
日々をつないでいく生き物なのだ。「さよなら」だと
今生の別れみたいな響きもある。「また明日」には希望の含みがある。
時おり、休止宣言、引退宣言を綴ってる人を見かける。
アストルティアには派手な引退宣言をブチ上げる人ほど
すぐに舞い戻ってくる法則があるので、どこまで真にうけていいかは
何とも言えないところだけど、そういう人たちに私があえて、
呼びかけたいのは「また明日」という言葉なのである。
引退芸、引退詐欺に終わったら笑い合えばいい。
本当にアストルティアから消えてしまっても、
約束はほのかな熱を保ちながら息づき続ける。
それが何ヶ月先、何年先になろうともーー、
再会できたならそれは我々にとっての「明日」なのだ。