ロックとは、「こういう気持ちわかるよねー」と仲間内で
共感をシェアするためのツールではない。少なくとも90年代はそうだった。
国内のヒットチャートでは飽き足らず、外へ外へと触手を伸ばす。
当然、周りの人間と話は合わなくなる。ロックを聴くことは
すなわち孤独を深め、社会と断絶していくことであった。
ロックに取り憑かれ、孤独を飼い馴らしすぎた私は、
「自分のことを誰もわかるはずない、わかってほしいとも思わない」
という気持ちが根っこにある。そんな90年代のロック青年にとって、
今は戸惑うしかない時代だ。ネットには同じような出自の人間の、
いかにも共感を誘ってるような思い出話があふれている。
しかしひねくれた私は何を信じていいものかわからない。
ロックとは「ディスコミュニケーション」の音楽であったはずなのに——。
あいみょんの「君はロックを聴かない」はまさしく
この断絶、ディスコミュニケーションを歌った曲だ。
このような曲が現代の、それもうら若き女性によって書かれたことに
私は少なからず驚いた。歌われているのは私が長年、
飼っていた孤独さに他ならず、それでいて彼女は
幅広い世代に、圧倒的な「共感」で迎えられている。
私は「共感」を安売りするような日誌は書けない。
しかし、「自分のことを誰にもわかってたまるもんか」
という諦観に引きこもってしまうのはまだ早いのかもな、と思った。
「僕の心臓のBPMは190になったぞ」
まだまだ鳴り止まないよ、90年代から鳴らされているロックは。