(昔の漫画なので時効かとも思うが、ネタバレが含まれています)
これまで私が読んだ中で、一番面白かった漫画は
山岸涼子作「日出処の天子」だ。聖徳太子の若き日の活躍を、
大胆な解釈をまじえてフィクショナイズした作品だが、
最終回では蘇我氏すら手玉に取る形で、政治権力を握るさまが描かれる。
そのこけら落としとして、彼は遣隋使を派遣する決意を語る。
しかし、とくに志(こころざし)があってのことではないという。
「何かしてないと、生きてる気がしないから……」と、
昇竜の勢いで頂点にのぼりつめた彼にしてはなんだか、
気の抜けたようなセリフをこぼすのである。
このセリフはずっと私の胸に引っかかっていて、
時おり淡い光を放つ。やる気がないように見えるし、
後ろ向きだけれど、どこか前向きでもあるからだ。
ポジティブなワードだけで綴られたJ-POPの歌詞みたいに、
前のめりに過ぎるということがない。決意を語るならば、
これくらいほど良く肩の力が抜けた言葉のほうが適切かもしれない。
厩戸王子と私の心情はここでリンクする。かれこれ十年近く、
このゲームをプレイしているが今さら志といえるものはない。
惰性で続けている、とも言い換えられる。
だが、何もせずボケーッと生きてるわけにもいかないのだ。
「何かしてないと生きてる気がしない」、かつては情熱だったものの、
その余熱を注ぐ対象がまだあるならばそれは幸せなことなのだろう。
若い頃は、七十になっても八十になっても働いたり、
大学に入り直すお年寄りがいることが不思議だった。
おとなしく隠居してればいいのに、と思っていた。
でも、そういうことではないのだな。人間は死ぬまで、
手を動かし頭を動かして生命の炎をつないでいく生き物なのだ。