歴史にはさまざまな「IF」がつきまとう。
(たとえ話がデカすぎるようだが)戦時中の日本がポツダム宣言を
早々に受け入れていれば、広島・長崎に原爆は落とされず、
違った戦後があったのではないか。ジョン・レノンが狂信的なファンに撃たれてなければ、
ビートルズ再結成なんてこともあり、音楽界にさらなる金字塔が打ち立てられたのではないか。
しかし、実際にあるのは史実だけだ。私たちができるのは、
想像という名の産物をこねくり回して遊ぶことだけだ。
115防具を揃えた時点でガス欠してしまい、4か月半ほどの休止をはさんで
再びアストルティアに舞い降りた私を待ち受けていたのは、
厭悪のルベランギスだった。最初は断罪のゆびわを作るためのルーティン程度にとらえて、
不死鳥のやりは準理論+核1でお茶を濁していたのだが、常闇も聖守護者も何ひとつハマらなかった私が、
十年間の集大成ともいえるルベランギスのゲーム性には魅了されてしまうこととなった。
タゲ下がり・壁・ターン溜めといったドラクエXの戦闘の基本をふんだんに盛り込みながら、
たとえばザオトーン・アビスのようにあからさまに理不尽で、
ストレスを煽るようなギミックはない。あらかじめ4人と8人同盟と分かれているのも良い。
やりこみたいガチ勢にも、合間の時間で軽く遊びたいライト勢にも満足がいく。
その中間である私にとっても満足だ。とくに8人同盟は、
責任が集中せずギスることがほぼなく、どの職で行っても見せ場が作れるという
ダークドレアム以来の見事な設計がなされていると思う。
ルベを極めたいあまり、不死鳥理論値に核5までブチ込んでしまうほどのハマりようとなってしまった。
単一鳥特効はつまらないと思っていたのだが、裏を返せばクラッシュチェーンのように、
二世代三世代先までは現役バリバリで使えるというのは大枚をはたく説得力にはなった。
暇さえあればレクスルクスの楔にこもってる私にお気づきのフレもいるだろう。
ルベに夢中になる一方で、もしこれがたとえば、常闇第一弾のタイミングで実装されていれば、
なんてことを考えてしまう。レグナードと称号は、非ゲーマー層にハードルの高さを感じさせ、
無用な劣等感や敗北感を突きつけるものであった。
あの頃、常闇というハイエンドバトルの噂を聞きつけ他MMOからゲーマーが移住してきた。
その一方でハイエンドバトルになじめない非ゲーマー層の初期勢、ライト勢はモチベを失い、
失意にくれて大量に脱落することとなった。ゲーマーでも非ゲーマーでも、
各々のスタンスで楽しめるルベランギスだったなら……というIFが、
頭に渦巻いてしょうがないのだ。ドラクエXにも、そして私自身にも、
違った未来があったのではないかと。
もちろんこんなのはいくら考えても詮ないことだ。
しかしルベに明け暮れ、ふと一息つく時に誰かが、どこか悲しげな顔で私の袖口をつかんでるような気がしてしまうのだ。
「私たちの未来はこれで良かったの?」
それが誰かはわからない。わからないまま想像をめぐらせる夜もある。