「なまはげ」のいかにも不気味なビジュアルは日本古来の「神様」な訳ですよね。でも動かしている(動いている?)のは近所に住むおじさんだったりといった「人間」ですよね。
「Vtuber」に関しても同じことが言えて、外側の「アバター」が動いて喋って歌っているように感じるものの、実際にそれを行なっているのは「中の人」ですよね。
中の人の人間性が外側まで染み出すものの、アバターとの同期率は自然そのもののように感じるのはアバターがある種の「神格」を得ているからだと思う。
アバターを持つVtuberが、直接顔を晒して動画を投稿している者達よりも多くの支持を得ているのはそれだからだと想像した。
中の人がアバターの「ペルソナ(仮面)」を被ることによって多くの支持を得ているVtuber達がその仮面を脱ぎ捨てた途端に消えてしまったのは、そういうことだと思う。
そこで気になるのが仮面を被り続けたらどうなるのか?ということだ。現状、長くても十年に満たない期間だが、後々の中の人の人格がVtuberを始める前に戻ることが出来るのかどうか、だ。
戻らなくても支障がない人もいるとは思うが、社会生活を送るのが困難な人も居るだろうだけに心配だとは思う。
追伸
だから仮に天音かなたの中の人が四十代でも「そういうもの」として許せるのは「アバター=神様」だからだと感じるからなんですよね。要するにVtuberは「神威化」した姿だと。
勿論、Vtuberのまま活動を続けられるなら一番ですし、リアルのアイドルと違って外見的な老化が存在しない以上、声さえ老化しなければ○ぬまで続けられる職業ですよね。(だからといって極限まで働いては欲しくはないですよ。これはキツイと思ったら休んでほしいと思います。)