アネット王国を出て4日目。
今私は、レンダーシア大陸を馬車で移動中だ。
行先はグランゼドーラ。しばらく王都の観光を楽しんだらドラクロン山地へ足を延ばしてみようと思っている。
それにしてもアネット王国からの旅立ちは酷い物だった。…と、言うか旅立ちの記憶が無い。
だが、目が覚めたら潜水艇の床に転がっていたのだから、酷い旅立ちだったことは容易に想像できる。
あの後、結局『蜂蜜酒』の誘惑に負けてしまったのがいけなかったな…
おかげでお気に入りの帽子を忘れてきてしまったが、旅立ちが湿っぽくならなかったのだけは救いかもしれない。
シラフで見送りなんかされていたら溢れるものを堪え切れなかったと思うほど、アネット王国での七日間は印象深いものだった。
中でも、身分や種族を超えた友人ができたことは今回の旅におけるハイライトだったと言える。
実を言うと、あの竜には名前がある。
その名は『ナンカ』。
「面白い名前だ」と竜に言うと、竜は「俺もそう思う」と笑いながら同意した。
親に付けられたものかと聞くと、そうではなく国王に付けられたものだと教えてくれた。
ある時、国王から「お前の名前は?」と問われた竜は返答に困ってしまった。
と言うのも、かつて『竜王』などと自称していた事はあったが、自身を倒した相手に『竜王』だと名乗るのもおかしな話だと思ったからだ。
暫く思案して「竜か何かでいい」と答えたところ「リュウカ・ナンカ」と受け取られてしまい、以降そう名乗ったことにされてしまった。
しかしあの国には『りゅうか』という名前の住人がすでに居たため「ややこしいから『ナンカ』で」と、国王の一声でそう呼ばれるようになったと言う。
仮にこの真実を告げられたところで「めんどくさいから」と呼び方を変えないであろう国王と、意としない名前を名乗らされて気にも留めない竜はいいコンビだ。
ここ、レンダーシアでは冒険者たちが相棒の飛竜と旅をしているのをよく見かける。
あの竜と国王が一緒に旅をしたらあんな感じなのだろうかと想像し、頭上を飛んでいる飛竜に居るはずの無い二人の面影を重ねてしまう。
アネット王国を出てからというもの、様々な事柄をついつい“王国基準”で考えてしまう癖が抜けない。
レンドアの酒場で飲んだ蜂蜜酒に「こんなの蜂蜜酒じゃない!」と憤ったり、グランドタイタス号で一人前として提供された料理に「あの国王なら一口にも満たないだろうな」と物足りなさを感じたり、すっかりアネット王国にかぶれてしまった。
貸し切り状態の馬車の荷台で寝転がり「ガブリィ宮のベッドはふかふかだったなぁ」などと思い出に浸っていると、御者から声をかけられて目的地へ着いたことを告げられる。
グランゼドーラ城下町の入り口は冒険者たちで賑わっていた。
近くに居た衛兵に何か事件でもあったのかと聞くと、殆どの冒険者はこの場所で受けられる『討伐クエスト』を目的に集まっているのだと言う。
「どこそこの何とかってモンスターが増えすぎているから退治してほしい」といった国民からの陳情に対して、この国が討伐報酬を用意することでモンスター退治を冒険者に代行させているらしい。
この『討伐クエスト』と、それを受ける冒険者たちのおかげで街道にモンスターが溢れる事も無く、馬車旅の安全も保たれると言うわけだ。
そんな冒険者たちの活動に感謝しつつ、遠慮がちに人混みをすり抜けて宿へ向かおうとする私の頭上を飛竜の羽音が通り過ぎる。
また一人飛竜に乗った冒険者が『討伐クエスト』に来たようだなと振り返ると、飛竜の背中から飛び降りた冒険者が見覚えのあるドワーフの少女のように見えて思わず苦笑してしまった。
…と言うのも、この4日間、行く先々でドワーフを見かけては「よく似た髪色だ」とか「歩き方が似ている」とか、つい目で追いかけてしまっているからだ。
まじまじと見過ぎて怪訝そうな顔を向けられたこともあるので気をつけねばならない。
そのドワーフの少女が手を振りながらこちらに向かって来ているように見えるが、これもそんな症状の一つなのだろう。
彼女が手を振っているのは私…ではなく近くにいる別の人で、彼女が向かっているのは私…ではなく、私の背後にある宿屋なのだ。
ドワーフの少女と見れば、皆あの国王に見えてしまうのだから私の“王国かぶれ”はかなりの重症のようだ。
ところで彼女は実に良い趣味の帽子をかぶっているな…私が無くしたお気に入りとよく似ている。
アネット王国回顧編 完