Youtubeでファミコン版ドラクエ3の実況動画を視聴中。
転職システムの必要性は?
アレフガルドをまた使い回し?
また同じことをさせるの?
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を真似たかったの?
ゲームとして疑問に思うところが多々あり、
アレフガルドに入ってから正直だれてきたけれど、
いよいよクライマックスまできました。
そして、ドラクエ3において、おそらく一番重要な場面。
実況者
「うわ、泣く。ちょっと泣きそうやねんけど。
よくこのドット絵で感動させるような……すご~い。
これ、リメイクやばいぞ。
HD-2D化された時、もっと感動させられると思う。
辛い、目の前で……」
待て待て待て~い!(笑)
どうしてそういうリアクションになるの?
目の前で戦っているんでしょ?
主人公は伝説の装備を揃えて、強い仲間までいるのに、
「どうして助けに行かないんだろう?」とは思わないの?
関西人の実況者なら、
「勇者なのに勇気がないってどないやねん!」とか、
「MP管理もできないのにどうやってここまできたんや!」とか、
「なんやねん、その恰好。変態やん!」とか、
「敵はどこ行ったんや。私らはスルーかい!」とか、
ツッコミを入れるところ満載だったでしょうに。
これで感動できますか?
ドラクエって、主人公に名前を付けることができて、
敢えて喋らないようにしているんですよね。
感情移入しやすくするための意図がある、と。
でも、この演出で感情移入するのは私には無理です。
リメイクされたスーパーファミコン版も気になって、
この場面だけ他の実況者の動画を見てみたら、
戦闘シーンが少し豪華になっただけで、特に変更はなし。
そして、実況者はやっぱり泣きそうと言っていたけれど、
最後にこうも言っていましたね。
実況者
「ザオリク使える奴が2人もおるからこっちはさ。
っていうのは無理やったん、それは」
そ・れ・な!
ドラクエはどういう世界なの?
そういうところも辻褄が合うようにするのが世界観でしょう。
これはドラクエ10のバージョン4のストーリーでも思いました。
ドラクエ11もYoutubeで最後まで視聴したけれど(笑)、
最新のハードで作っているにもかかわらず、
結構都合が良い展開が多かったですからね。
ここまでくると堀井雄二さんのセンスなんだろうなぁ、と。
縛りプレイ設定の「恥ずかしい呪い」や「嘘をつかれる」も、
「それ、面白いの?」と思いましたし、
そもそも縛りプレイをモードとして入れてしまうセンス、
私はこれに驚きました。
縛りプレイはユーザーが見つけて、
自主的に遊ぶから面白いのであって、
ゲームの方で最初から用意してしまったら、
それはもうただのモードで、縛りプレイとは言わないでしょう。
そして、昔も今も大きな問題だと思うのが、
その堀井雄二さんに対して周りが何も言えないという状況。
社内のことは知りようがないけれど、
少なくとも出来上がった作品を見る限り、
意見できているようには全く思えないんですよね。
ドラクエは作品ファーストではなく、
堀井雄二さんファースト。
ドラクエファンもそうなってしまっている。
本当にそれでいいのかしら?