毎週木曜日になると、ファミ通というメディアで、
ハードとソフトの売り上げ本数が公表されます。
ユーチューバーやブロガーはそれを転載し、
毎週飽きもせずに勝ち負けを語り、
コメント欄は同調や対立の言葉で溢れます。
皆やけに上から目線だけれど、
彼らは一体何様のつもりなのでしょうか?
そのハードとソフトの売り上げ本数のデータだって、
ファミ通に転載の許可を貰っているのでしょうか?
作品を売り上げ本数で評価をするのなら、
モーツァルトよりもヒットソングの方が音楽として上、
とでも思っているのでしょうか?
ゲームの内容を語る時も、
グラフィックやフレームレート、ロード時間など、
決まってハードの性能も含めて話をするけれど、
そんな表面的なことまで作品の評価に加えるのなら、
チャップリンよりもCG映像の方が映画として上、
とでも思っているのでしょうか?
これはメディアも同じだから全く困ったものです。
レビューも最速レビューと題し、
クリアしていない段階で早々に評価をします。
小説や映画を途中までしか見ないで評価をする、
そんな素っ頓狂な者がどこにいるのでしょうか?
誰がそれを参考にできると言うのでしょうか?
そもそもそのレビューをする人間は、
今までどれ程のゲームを遊んできたと言うのでしょうか?
クリア後のレビューも、
面白さの本質に触れるまで遊び込んだのでしょうか?
発売前も異様な持ち上げがされるのが常です。
それは期待感という言葉では済まされない程のもので、
裏でこっそりそのゲームの発売元と繋がっているのでは?
そう疑いたくなるし、実際、案件であったりするけれど、
宣伝なら宣伝と何故堂々と言わないのでしょうか?
宣伝をすることは商売として当然なこと、
むしろもっとそのゲームの魅力をアピールしてほしい、
そう思っているくらいなのに、
皆と変わらない一ユーザーの振りをして期待を煽る、
これは即ち、飲食店の主人が知り合いや業者に、
「ネットに普通の客の振りをして店の紹介をしてくれ」
「ちょっと小遣いをあげるから褒めてくれ」
これと全く同じことで、隠したらそれはもうステマなのに、
何故それが分からないのでしょうか?
その欺瞞がたまらなく薄気味悪くて信用ができないし、
そのゲームのファンも良い味方ができたと言わんばかりに、
コメント欄で同調をするからますます怪しくなります。
更に、このゲームのファンも偽客かもしれない、
という不気味さがあります。
そして、インフルエンサーという言葉で、
詐欺師のような人間でも影響力がある人と持ち上げられ、
ゲーム会社も利用するようになり、
何も知らないユーザーも有り難がる。
コメント欄には「〇〇さんのおかげで」という言葉が溢れ、
その物よりもその発言者を持ち上げ、
その物に対してはしつこく異常な程疑うくせに、
その発言者に対しては何も疑わずに信用をする。
「さすが〇〇さんですね!」
「よく言ってくれました!」
「買わなくて正解でした!」
価値観や好みなんて人それぞれなのに、
自分という何よりも大切なものを完全に捨て去るその姿、
それはまるで怪しいカルト宗教を見ているかのようです。
この風潮は一体いつまで続くのでしょうか?
白黒思考の愚か者がいつまでのさばっているのでしょうか?
小説や映画、音楽にはちゃんとした評論家がいるのに、
ゲームにはまだちゃんとした評論家がいません。
ファミコンが誕生し、今年で40年にもなるというのに、
毒にも薬にもならない感想屋しかいません。
こんないい加減な人間で構成されているゲーム業界で、
ゲームオブザイヤーやメタスコアが何だと言うのでしょう?
メタスコアに至っては0点レビューで荒らされることもあり、
こんなことができる時点で何の価値もありません。
ゲームはひとつの作品にかける時間がとても長いです。
発売される本数もとても多いです。
話題作だけ齧っているだけなのに、
すべてのジャンルを語れる、自分にはその資格がある、
そう思い込んでいる自惚れ屋は多いけれど、
映画評論家の淀川長治さんのような、
古今東西すべてのジャンルを語れる本物の評論家は、
ゲーム業界からは決して生まれないでしょう。
でも、音楽評論家のようにジャンルを絞れば
そのジャンルの評論家にはなれると思うのです。
また、ひとつのジャンルに絞っても、
例えばRPGならドラクエをメインに遊んでいる、
そういう人はドラクエの評価をするのはいいけれど、
他のゲームの評価はしてはいけないと思います。
何故なら、そういう人はドラクエを基準に置き、
見方が大きく偏っているからです。
売り上げ本数は関係なく、有名無名も関係なく、
しっかり遊んで愛を持って深く語れる、
そんな本当のインフルエンサーの登場を私は望みます。