ゲームの内容に不満を覚える人達へ。
評価の基準や好みは人それぞれ、
受け手の要望に完璧に応えるなど不可能なことなのです。
純粋に自分の作りたいものを作り、
それが多くの人に評価され、尚且つ沢山売れる、
これは奇跡的なことであり、幸運なことであって、
当たり前にできることではないのです。
しかし、その奇跡的で、幸運な作品を見て、
受け手はそれが作り手の当たり前だと勘違いをします。
勝手に評価の基準にします。
今は誰もが評論家になれる時代です。
かつては雑誌で編集者が間に入り、
内容も言葉遣いも誰に見せても恥ずかしくはない、
そういった認められたものだけが世に出ていました。
今はネットで誰も間に入らず、
内容も言葉遣いも恥という概念がなく、
誰にも認められないようなものまで世に出ています。
その発言者は匿名であることが多く、
性別も年齢もどれだけの知識があるのかも分からない、
更にそこにステマや印象操作が潜んでいることもあり、
実に信用ならないものばかりになっています。
あなたが傑作と信じて疑わないその作品は、
誰からの影響もなく、何の影響もなく、
自分自身の見る目だけでそう判断したものなのでしょうか?
自分にとって都合が良いものだけを見て、
それで自分の世界を作り上げ、
この人の言うことはもっともだ、信用できる、
この人の言うことはおかしい、信用できない、
その白黒思考で決めたものではないと言い切れますか?
世界的に権威のある賞を受賞したから、
沢山売れたから、
第一線にいつもいるから、
そのブランド力で決めたものではないと言い切れますか?
作品にしてもそれは同じことです。
殆どの作品は何かしらの影響を受けています。
品質を求めるなら評価されたものを、
売り上げを求めるなら沢山売れたものを参考にします。
どちらが上ということはなく、どちらも流行です。
音楽の名盤と呼ばれるものも当時のヒット作が殆どです。
また、同じ時代の作品の影響を受けていることが殆どです。
故に、私達はもっと謙虚であるべきなのです。
作品が生まれた経緯や接し方、作り手と受け手の関係、
これらをよく知る必要があるのです。
その作品が満足できなかったからといって、
多くの人が目にするところでそれを感情的にぶつける、
同じ意見の人を探し、それに便乗する、
そんな愚かなことは決してするべきではないし、
時間の無駄にしかなりません。
ストレスを発散できたかのように思えて、
逆にストレスを溜める原因になっています。
終わりがなく、自分をつまらない人間にもします。
あなたの人生はそれでいいのでしょうか?
もしも自分の評価の基準や好みに合わない作品に出会ったら、
自分とは縁がなかった、
よくあること、
気にしてなどいられない、
そう思い、その作品からきっぱり離れましょう。
その権利と自由はあなたにはあるのです。
その作品や作り手にずっと付き合う必要は全くないのです。
その人の作る物すべてを好きにならなければファンではない、
ということはないのです。
どれかひとつでも好きなものがあれば立派なファンです。
また、作品を作ることを仕事にしている人が殆どです。
仕事にはノルマがあり、
アイディアが未熟なまま、仕上がりが不充分なまま、
それでも世に出さなければいけない、
そんな作品が殆どなのです。
会社のためにノルマを第一に考える人がいたり、
職場環境に不満があり適当に仕事をしている人がいたり、
作品の完成度は二の次という人だっているのです。
それは作品であると同時に商品である以上、
避けられない宿命なのです。
素晴らしい作品との出会いは、
人生をより豊かなものにしてくれます。
自分だけがその良さが分かる、
それは錯覚で幻想だけれど、
その作品をより特別なものにしてくれる芸術の魔法、
そんな作品が世の中には沢山あります。
私達は無意識にそれを探す旅をしているのです。
もしもその作品の内容に不満を覚えたのなら、
荷物をまとめてまた旅に出ましょう。
それではみなさん、素晴らしい旅を!