私みたいな犯罪捜査ドラマが好きな人なら目撃者による犯人の顔作りのことだろ? というかもしれません。
しかし、ここではそうではなく、映画の手法のお話です。
さすがに若い人は戦艦ポチョムキンとか言われても殆どわからねえよな。
安心しろ、OSSANの私もわからん。
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※ 例えばこの顔、どんな感情を抱いているように見えますか?
料理のカットを直前直後に挟むと、大半の人はこれを「食欲の表情」に読み取ると言われています。
モンタージュと呼ばれるフィルム作りの古くもいまだにバリエーションが多く使われている技法です。
なるほど、言われてみれば、確かに「美味そうだなあ、あのプクリポ」って顔をしているようにも見えなくもありませんね。
え? いつからサイコパスの見分け方講座になったのかって?
いやまあ確かにちょっと常識から逸れていましたね。
プクリポというのは集団で人間に襲い掛かってホネまで食い尽くす生物であって、その逆は普通ないか。確かにそうかも知れません。
でもいいじゃないか、たまには生態系の下克上を夢見たって。
え? その話じゃないって?
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※ つまり、人間は個別の現象に文脈という背景を添えて解釈する生き物だってことです
逆に言えば、文脈がない場合、文脈を類推して遊ぶ生き物でもあります。
たとえば私は今林道を歩きながらカメラに向かって「!?」とメンチ切りつつこの話をしています。
しかし、人によっては可愛く首を傾げてさらさらのロングヘアを今まさにかきあげんとする様に見ることもあるでしょう。
クッソ、リア充は市n
(ただいまたいへん不適切な音声が流れかけましたことをお詫び申し上げます
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※ 貴重な段落の一つを使ってしまった……(顔に縦線)
まあいいや。まあいい。
とにかく、真顔や無表情というのは、相手や視聴者にボールを投げる類の難易度の高い演技だということです。
難易度がどう高いのかというと、完全な無表情の中に何かを覗かせたり、ちょっとしたしぐさや前後のシーンとの整合性が求められたりすることもさることながら、 『自分一人で演技を完結させられない』 ところが高いのです。
共演者の反応が本来表現されるべき自分の感情の機微を汲み取っていなければ、演技は完結しません。
カメラワークが効果的な間、効果的な角度、象徴的な構図をとれなければ、演技は完結しません。
そしてなにより、観覧者が「この人今こんな心情なんだろうなあ」と考えを働かせてくれなければ、演技は完結しません。
どんなエンタメだってそうなのですが、これほど情報の受け手まで巻き込んだ全体の手腕が問われるシンプルな技術ってなかなかないよなと私は思うのです。
それはつまり、モンタージュが生み出された当時の映画界って、作り手も観客も熱意と愛情と想像力をがっつりぶち込んでいた幸せな世界だったんじゃねえかなあという解釈でもあります。
海外ドラマの大ヒットロングラン、NCISシリーズではマーク・ハーモン演じるリロイ・ジェスロ・ギブスにこれを効果的にやらせています。
寡黙で強面を気取り、タフで粘り強く、鋭い洞察力と長年の経験に裏打ちされた初老の男が、一分黙っているだけで物語が動いていく様はなかなか他が真似できるものではありません。
優秀なチームと、何かをきちんと汲み取ろうとする視聴者あって初めて成立する、なかなか奥深い総合芸術だと思います。
いや、ちょっと賛辞が過ぎますかね。
照れくさいものがあるな。
今ちょっと赤面してるので撮らないでください。
撮らないでったら。ああもう。
「その顔もかわいいよ」じゃなくて。ねえったら。
ふだん私が周囲に振りまいている威厳というものががらがら崩れ落ちて、親しみやすいキャラに見えちゃうじゃないですか、もう……
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※ この文脈なら、この写真も可愛く見えるはず?