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悪徳おじさん

ギーリ

[ギーリ]

キャラID
: YW317-375
種 族
: 人間
性 別
: 男
職 業
: 賢者
レベル
: 94

ライブカメラ画像

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ギーリの冒険日誌

2013-08-23 21:50:54.0 テーマ:その他

日誌を書いた!

「きまじめすぎるひとたちについて」

 おふとんがお亡くなりになったので、徹夜確定。
 ごはんも食った。カフェインも摂った。
 時間もあることだし、お皿を水に漬けている時間潰しに、つらつらと思ったことを書いてみる。



 ハイエンドコンテンツは誰のためにあるのか。

 言うまでもなく、廃の人のためにあるんである。
 コアユーザーふぜいでは、挑戦すらできないような高みに設定されているゲームすら、ある。
 DQXはここらへん、割と良心的だとさえ思うのである。なにせ、とりあえず挑戦だけはできるのだ。挑戦だけは。
 成否や納得のいく褒賞が得られるか否かという点で、保障されないだけだ。

 レアドロップの比率だのアクセサリの合成結果だの転生モンスターが出ませんだの、苦労の割になかなかうまくいかないとか言われても、ただがんばるだけで十人が十人ともうまくいくようなものは、ハイエンドコンテンツではないんである。
 30000体倒してドロップ比率がこうだ、
 50個ほどアクセサリをリーネに捧げたが一番マシなのはこうだった、
 転生モンスターこないだ遭ったわお前まだ遭ってないのよしいっちょ今から行こうぜ、
 ってなことを平然とやりかねない連中向けのコンテンツを、「俺にも楽しめるように調整しろ」と言っちゃう様について、「痛々しい」以外に当てはまる形容詞を、私は思いつかない。
 イタいとかそういうんじゃなくて、本当に悲痛な感じだ。

 廃のひとたちというのは、何処までも何処までも走っていくのである。
 そこに地平が見えるから走っていくのではない。
 走っていないと死ぬ生き物だから、走っているのである。
 途中で止まって休まないといけない我々哺乳類とは、全く別種の生き物なんである。

 先頭集団と下位集団に分かれたと見るや否や、自分はやりこんでいるのだから先頭集団にいたいと必死に自分を鞭打ち始めても、正直何の意味もないと私は思う。
 そういうひとたちは日課がきついと表明することすら、弱音で落伍だと思っている節すらある。

 一日休めば格差が広がる?
 きついと思っている時点で既に格差は生まれるべくして生まれていて、そしてそれは別に不幸なことでもなんでもない。
 身体が、心が、このゲームとの付き合い方の見直しを求めているのだ。

 水遣りめんどいから植物を捨ててもいいし、戦闘がだるかったら職人だけやってもいい。スクショを撮るのに一日を費やしてもいい。
 自分が本当に楽しいと思うことは何なのかというのを自問して、それをメインサイクルに据えて、自分なりにゲーム方針を再設定すべきだ。
 全部抱え込むことは、倦怠しか生まない。
 月幾らも払って苦行を積んじゃいけないのだ。
 我々はブッダにはなれない。凡人なんである。

 そうした悪癖を持つひとたちは、おーむねきまじめすぎる印象だ。
 テーマパークに入場料を支払った。
 支払った以上は「楽しまなくてはならない」。
 コンテンツは余さず「体験しなくてはならない」。
「楽しまなくてはならない」のに(全部)「楽しむことができない」。
「入場料を支払った」のに(全部)「楽しむことができない」。
 私はお客様なのに、これはどうしたことか、となってしまう。
「お金を支払って」
「楽しまなくてはならないから」
「楽しむための努力をした」
(全部)「楽しめなかった」
「私は努力した、私は悪くない」
「じゃあ悪いのは誰だ」
「あいつだ」
 というのは、もうなんだか様式美に到達している感さえある。
 まあ、それが楽しいという困ったひとたちもおられるようだがw

 正直、いい大人がそうなるのなら、それは別にどうでもよろしい。
 申し訳ないが、彼らは人生の楽しみ方というものについて、ある意味手遅れと言わざるを得ない。
 ただ、まっとうな子供たちがそうした背中を見て育つとなると、少々眉を顰めざるを得ない。

 ほどほどに飽きたり、他のことにもいくらか興味が移って当たり前なように設計されたものについて、「真面目に」「がんばる」のは、ろくでもない結果しか生まない。
「ぼくはなにがたのしいのか」「かぎられた時間でいっぱい楽しむためにはどうしたらいいのか」ということを考えずに、周りに流されるままレベルを上げてレアアイテムを漁り、飴を寄越せもっと寄越せと公共の場で主張するプチ廃。
 廃になれるならまだいいが、なれなかったりなったはいいものの落ちぶれてしまったりすると、残るのは浪費した青春の記憶だけだ。
 想像に堪えない。

 別に義憤に駆られてゲームする必要はないが、少なくともゲームまみれでもまっとうに育ってきたおっさん世代としては、誰も見てないにせよ、いい背中を気取りたいもんだと鼻息を荒くしちゃうのである。
 ちゃらんぽらんに。
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