ニンゲンは、使い慣れた手つきで鍬に食事をのせると柵から隣の柵へと盛り付けていった。
いつも一頭分の朝食を盛り付けるごとにニンゲンは、シオンや仲間たちに微笑みながら何かを語りかけ、後頭部から首筋にかけて包むように優しく撫でてくれるのだった。
「おはよう」と言っているのだろう、とシオンはなんとなくその伝わらない言葉の意味がわかる気がした。
シオンは盛られた朝食を食べようと、頭だけ柵の外に突き出した。ほかの仲間たちの事は分からないが、シオンの場合、食事はまず鼻で味わう。食事から立つ香りを鼻から頭まで巡らせ後、目と舌で色彩と味を楽しむのがシオンなりの食べ方だった。
食事そのものに危険がないとは限らないが、シオンの日常を取り巻く環境は、本来生命が備えている警戒や感応、予測といった『生きる為の習性』を少しずつ鈍らせていたし、それはシオン自身も気づいていた。 それでもシオンは、この穏やかな一日が始まる朝という時間が、たまらなく好きだった。
シオンは知っていた。恐らくこんな感覚のことをニンゲンたちは『平和ボケ』と言うのだと。
朝目を覚まし、同じ天井を見上げ、食事を摂り、仲間たちと笑い対立し、ニンゲンたちの暮らしの一部となって、このアストルティアという多種多様な生物の坩堝の中で紅茶とミルクのように徐々に互いの色を失いながら、馴染んで、溶け合い、刻々と新しい色になり日々を彩っている。
それがあまりに緩やかなものだから、ニンゲンも自分たちもその些細な変化に気が付かないでいる。それが『平和』だ。
---そして、シオンは知らなかった。
その平和がこの日凄惨に終わることを。