※ドラクエ関係ない日誌です
数年ぶりに火垂るの墓を視聴した感想
小~中学生頃に1回だけ視たきりなので内容がふわっとしていたのでよく「大人になってから見ると清太がわりとクズ、おばさんは嫌味だけど正しいこと言ってる」という話を聞くので本当かな?と思って久々に視てみたのですが
自分はそこまで清太クズではないし(無知であっただけ、現在の価値観に当てて軽々しくクズと評価すべき事柄ではないと思う)
どちらかと言えばおばさんの方がやっぱり冷たく感じました。
時代や立場を考えたら主張が正当なのは理解出来るんだけど・・・
清太とおばさんの「どっちが悪いか」というよりは「どうすればよかったか」が作品の本質に近いかも
この作品が指してるのは「社会からの孤立=子どもだけでは生きていけない現実」
節子を守るためには大人の庇護が必要だったけど清太がそこに気づけていなかった。なのでおばさんに指摘されたことに謝れないし反抗してさらに拗れてしまい円滑な関係を築けていなかった。その結果として節子を死なせてしまうのだから清太の愚かさを糾弾する人もいるでしょう。
少し話がそれますが最近視た「タコピーの原罪」も突き詰めると「ちゃんとお話をすればよかった」という内容でしたし時代を問わずコミュニケーションは人間に普遍的に必要なものなんだろうな~と思います。(自分もあまり人間関係得意じゃないけどね~)
周りの大人だって余裕がない時代に大人は現実を見ていて
まだ子どもである清太は理想を見ている。
作中の描写を見ても周囲の大人達は現実を見るように可能な範疇で手を伸ばしてくれていますが清太は拒み続けています。(極論おばさんに頭下げれば許してはくれたと思う)
理想との折り合いをつけて大人になれなかったことは愚かかもしれませんが
清太は本質的に人嫌いなんだと思っています。
理想(節子との生活)があって現実(他人)に押し潰されるのを嫌う。
理想を優先したいという清太の気持ちに大人になった今でも賛同出来る(あーだから自分はおばさんが苦手で清太寄りだったのか納得!)
物語的には理想が叶ってほしいけど非常な現実に叩き潰されてしまう最期を向かえます。
火垂るの墓は「二度と視たくない名作」と言われますし子どもの頃に漠然ともう視たくないと感じたのですが
この感情は「哀しい」からよりも主人公が理想を掴めない「悔しい」という気持ちに揺さぶられていたからだったんだなと今回気づいたのです。
火垂るの墓 わたし、これ嫌いなのよね・・・