悪夢の刻印が刻まれた四人の乙女らが魔王の花嫁となる時
神々により封じられた古の魔王が
悪夢の中から蘇るだろう
(『創世記』巻6の204頁より)
まだ、「魔法」というものが、人間たちの生活の中に当たり前のように存在していたころのお話です。
遠い遠い世界の大陸の果てに、「グランセドーラ」という小さな王国がありました。
時の賢王グランセリウス一世の治世により、王国は小国ながらも栄華を極め、その領内にはたくさんの臣民たちが暮らし、何十年もの間、戦争もない平和な生活を営んでいました。
その世界では、女も男も子供も老人も分け隔てなく、自身の唇から言葉を発することさえできれば、まるでお湯を沸かすように、だれもが簡単に「呪文」を唱えることができました。
王国内に存在する魔法は、「光」、「氷」、「炎」の三つのエレメント(元素)に区別され、人々は、その三種のうちの一つのエレメントに属する魔法だけを唱えることができましたが、光・氷・炎の元素のいずれにも属さない魔法……「古代呪文」を唱えることのできる特殊な能力を持った女性が、何十年かの間に数人、ごく稀れに生まれることがありました。
その者は「魔女」と呼ばれ、人々から畏れ敬われる存在として扱われました。
代々の昔から「炎の魔法」を操ってきた魔法使いの家系に生まれた少女「グラン」も、その「魔女」と呼ばれる者の一人でした。
しかし、グランが生まれながらにして具えていた「古代呪文」は、道を歩いている人を転ばせたり、テーブルに並べられているものをめちゃくちゃに散らかせたり、猫を犬のように吠えさせたりと、魔法としてはまったく人々の役に立たないものでした。
おまけにグランは魔女でありながら、その役立たずの古代呪文以外には、満足に魔法を使うことができませんでした。
炎の魔法の使い手なら幼い子供でも簡単に唱えることができる初歩の魔法、「メラ」さえも撃ち出すことができなかったグランには、魔女と呼ばれる者には必ず傍らに付き従っているはずの「使い魔」も、まだ見つかっていなかったのです。
使い魔は魔女が探すものではなく、主である魔女を、使い魔のほうが見出して付き従うものでした。
そのためにグランとグランの家族は、王国の人たちから陰で笑い者にされていました。
一人娘として生まれたグランに兄弟はいませんでした。
その代わり、仲のいい二人の幼なじみたちがいました。
ひとりは、「光の魔法」を司る名家の娘に生まれた「クレル」。
もうひとりは、貧しい家の育ちながらも「氷の魔法」の使い手として王国に名を馳せていた「レーミ」という名の娘で、グランは、幼いころからいつも彼女たちと行動を共にしていました。
クレルとレーミの二人もまた、グランと同じ「魔女」でした。
クレルは、光の魔法の最上位呪文「イオグランデ」を、レーミもまた、氷の魔法の最上位の呪文である「マヒャデドス」をすでに会得していました。
気の強いクレルは、炎の魔法の最上位呪文「メラガイアー」はおろか、メラさえ満足に唱えることができないグランのことを言葉ではいつも馬鹿にしていましたが、心の中ではずっと気にかけていました。
グランと一番の仲良しだった、気立ての優しいレーミも、心はクレルと同じでした。
想いは魔法、言葉は呪文。
想い続けていれば、唱え続けていれば、
「夢」はきっと叶う。
世の中に、役に立たない魔法なんて存在しないわ。
レーミは、落ち込んでいるグランにそう言いました。
それから数年が過ぎた、ある満月の夜のことでした。
「悪夢」に魘(うな)されて真夜中に目の覚めたグランは、青白い月明かりの中で、しっとりと汗で濡れた自分の胸を見ました。
そこには、グランが生まれたときから刻まれていた、悪魔の手形のような醜い痣(あざ)がありました。
胸の痣を絶対に他人に見せてはいけない。
その言葉は、自分の娘を人々から守るために、グランの両親が言い聞かせてきた言葉でした。
年頃の娘に成長したグランは、その恐ろし気な痣が自分の身体にあるおかげで、自身に好意を寄せてくれる異性が現れても受け入れることができませんでした。
「魔女」としてではなく、「普通の女性」としての幸せをも奪ってきた忌まわしい胸の痣。
魔女のグランは知っていました。
その痣が、「悪夢の刻印」と呼ばれる「魔王の呪い」であること。
グランを含めた四人の乙女たちが「魔王の花嫁」として捧げられたとき、悪夢から蘇った古の魔王がこの世界を滅ぼしてしまうこと。
自分が「魔王の花嫁」になる日が、すぐそこまで迫ってきていることを。
その夜。
グランは両親に何も告げず、愛用の魔法の箒(ほうき)に乗って、独り家を出てゆきました。
~「第三夜」に続く