(「第二夜」からのつづき)
銀色の髪とアメジストの瞳を持ったひとりの華奢な剣士が、人の背丈ほどもある大きな戦斧を手にした一匹の魔物を従えて、月夜の海岸を歩いていました。
長い年月の間に、潮に浸食されてできた渦巻き状の砂浜の中心に、月の光を受けてペリドット色に輝く、柔らかな羽状の葉を潮風に揺らせている古木が、時間の中に置き去りにされたようにして生えていました。
グランセドーラ王国の一番の剣士である若者が歩みを止めたその場所も、太古の昔は、海岸の遠くに見えている古い森の一部だったのでしょう。
腰のポーチから取り出した小瓶の中の雫を若者が大木に振りかけると、その身体は空気に溶けて、お供の魔物といっしょに大木の中へと吸い込まれてゆきました。
夜の玉座で天球の星々を従えていた銀の女王は、その身に纏(まと)った光の衣の輝きを徐々に失い、まもなく別の世界の空に消えようとしていました。
冷たい夜露に羽を濡らして飛んでいた魔女と魔法の箒もまた、輝きの衰えた月の光に同調するように、地面に向かってゆっくりと落ちてゆきました。
萎びた翼を閉じて空から舞い降りた魔女のグランが目にしたその場所は、彼女が幼かったころから何度も「夢」で見ていた場所とそっくりでした。
「今までずっとありがとう」
グランは、渦巻き状の砂丘の真ん中に生えているジャカランタの木の幹に、長い間自分のために働いてくれた古びた魔法の箒をそっと立てかけました。
「このつぎは、こんな『できそこないの魔女』じゃなく、ちゃんとした主に拾われるのよ」
グランは、ただの箒に戻ってしまった相棒の身体を愛しむように指の腹でさすりました。
「魔王の花嫁」が揃えば、この世界は消えてなくなってしまう。
「……でも」
腰に着けていた銀のナイフを鞘から抜き、グランは、夜の空気で冷えたナイフの切っ先を自分の胸に当てました。
一人欠ければ、その時間を遅らせることもできるだろう。たとえそれが一時のことだとしても。
どうせ消えるなら。
悪魔でなく、みんなのために身を捧げたい。
両手に握ったナイフの柄に力を込めたとき、グランの足首に熱い何かが突き刺さりました。
思わぬ痛みでナイフを放したグランが足元に目をやると、一匹の黒猫が足首に噛みついているのが見えました。
同時に、目の前に生じた空間の歪みから現れた人間がグランの胸に飛びつき、その弾みでグランの身体は砂浜の上に勢いよく押し倒されました。
気がつくと、真昼の明るい海の色と同じ肌をした幼なじみのレーミが、仰向けに倒れたグランの身体を強く抱きしめながら肩を震わせていました。
古代呪文のひとつである「ルーラ」を詠唱して一時的に多くの魔力を使い果たしてしまった魔女のレーミは、親友の身体に抱きついたまま大きく息を荒げていました。
もうひとり、泥色の長い髪を潮風になびかせた背の高い魔女が、倒れた二人の足元に立っていました。
「間一髪のところだったわね」
ビロードの生地でできた派手な臙脂(えんじ)の魔女服を着たクレルは、自分の足元に転がっていた銀のナイフを拾いました。
「『その子』がいなければ、アンタは死んでいたわ」
クレルの言葉にゆっくりと半身を起こしたグランは、自分の着ている魔女服よりもずっと深い闇の色をしたあの黒猫が、血のにじみ出た足首をざらざらとした舌で嘗めているのに気がつきました。
その黒猫は、「魔女」としてグランが生まれて初めて見出された、彼女の「使い魔」でした。
「黒猫」は、使い魔のうちでも一番高等な生き物とされていました。
高い魔力を持った魔女以外、黒猫が人間に懐くことはけっしてなかったからです。
黒猫を使い魔として従えさせることのできる人間は、グランたちが知っている限りでは、王国には一人もいませんでした。
夜と朝が交じり合う暁の空の下に、ひときわ明るく輝く星が白い穴をあけていました。
グランは、自分の使い魔となった黒猫に、「明けの明星」と呼ばれたその星と同じ「チャスカ」と名づけました。
時を超えた二人の命の出会い。
それは、「永遠の命の鎖」で繋がれた運命のはじまりとなったのです。
~第四夜につづく