
風と椛 三
…ピッ。「つうしんをさいかいします」
「えー、目下(もっか)河童に47連敗中の白狼天狗こと犬走椛(いぬばしりもみじ)は今は昔。…『お百度参りをするときは、神社の入り口にある石を触りながら、その周りを100回周ってワン! と言えば願いが叶う』と河童のにとりに騙されて、博麗神社の百度石の周りを犬のようにぐるぐると周ってワンと吠えた、あの夏が過ぎ風あざみ…」
…ピッ。
「えー、哨戒天狗の犬走椛は今は昔。…大人になった記念に人里のちょっとお洒落な居酒屋に行ったとき。『マティーニ・ソーダ』を『マタニティ・ソーダ』だと思い込みドヤ顔で注文して、『妊婦なんて入ってないじゃないか!』とわめき散らし赤っ恥をかいた、あの十五夜の夜…」
「うわあああ! やめてくれえぇ!」
ひとりでに何度も繰り返される文(あや)の声を聴いた椛は、頭のてっぺんに突き出た耳を両手で塞いで突っ伏しました。
鴉天狗の文は、椛に乱されたブラウスのリボンを締め直すと、床に転がっていた瑪瑙(めのう)の玉を拾いあげました。
「この『陰陽玉』はね。博麗の巫女が持っているものと同じものなのですよ。私が河童に命じて複製させたのです。オリジナルに備わっている通信機能に加えて、音声の録音と再生機能も追加してもらいました。でも、今はただの瑪瑙に戻ってしまったみたいですね」
文は、輝きを失ってそれきりなにも言わなくなってしまった陰陽玉を、自分の足元に這いつくばっている椛に示しました。

「…そうだ。無我夢中でその玉の後を追いかけてきたら、いつのまにか知らない所にいて。そこで鴉天狗の出来損ないみたいな奴らに囲まれたと思ったら、今度は地上の人間たちに追いかけ回されて…」
そこで椛は、自分の額に付けていた頭襟(ときん)が無くなっていることに気がつきました。
「ああ。『こいつ』と間違われたのですね。頭襟もそのときに落としたのでしょう」
文は、愛用のカメラで撮った一枚の写真を椛に見せました。
「いや、全然似てねぇし!」
椛は、写真に写っている妙ちくりんな天狗を見て吐き捨てるように言いました。

「そういえば。お願いしたヤツデの葉は持ってきてくれましたか?」
「ああ、それならここに……。あれ! なんでだ?」椛は、つい昨日取ったきたばかりのヤツデの葉が、懐の中ですっかり枯葉のようになっていることに気がつきました。
「やはりね」文は、いつも椛の着ている真新しい白い水干(すいかん)の衣が、その身体といっしょに、何日も洗っていないように土垢で汚れているのを見ました。
「ここは、私たちの住む幻想郷と似ているのですが、少し違ったところもあるようなのです。…椛。あなたはここに来る前、昨日私と会ったばかりと言ってましたね? その私がここに来たのは、今から『1年前』なのですよ」
「なんだって? そんなはずが」
「実は私も、ここに来たときに、あなたと同じように人間たちに追い回されましてね。それで葉団扇で吹き飛ばしてやろうと思ったら、同じように枯れていたのです。…おまけに服もボロボロ、身体も臭いし。今のあなたのようにね」
文は、新しく作り直したヤツデの葉団扇で、垢にまみれた椛の顔に柔らかな風を送りました。
風と椛 四へ続く