風と椛 四
「椛(もみじ)、ちょっとこれを見てください」
葉団扇を懐にしまった文(あや)は、左手首に巻きつけているアンティークな腕時計の盤面を椛の眼前に傾けました。
「この腕時計は、霖之助(りんのすけ)さんの香霖堂(こうりんどう)で買った電波時計なのですが、一見すると電池切れで止まっているように思うでしょう? でも、ちゃんと動いているのですよ」
「…試しに、こちらの世界の時計と照らし合わせてみたら、秒針が30分ごとに5秒ほどずつ、ゆっくりと動いていることがわかったのです。どうやらこの腕時計は、にとりが妖怪の山に設置した基地局の標準電波を、こちらの世界でも正確に受信しているようですね」
椛は、12時の位置からまったく動かないでいる金色の秒針を見て、訝(いぶか)しげに首を傾げました。
「…どちらの世界も同じように時が過ぎていて、相対的に時間の流れだけが違うと仮定すれば。こちらの世界で丸1日過ごしても、私たちの住む幻想郷では、たったの240秒ほどしか経っていないことになります」
「…つまり。幻想郷での一日が、こちらでは一年に相当するのです」
「そんな馬鹿な。昨日にとりと将棋をしていたのが、一年前のできごとだなんて」
椛は、昨日まで真っ白だった上着の水干(すいかん)が日光に晒されて、わずか一日で薄黄色に変色しているのを見ました。

「そうだ椛。この玉を手に持ってみてくれますか?」
文は、椛が追いかけてきた赤い勾玉(まがたま)を彼女の左の手のひらに載せました。
「いいですか? 落とさないように、しっかりと握っているのですよ」
狐に包まれたような面持ちで勾玉を見つめる椛に念を押すと、文はスカートのポケットから取り出したもうひとつの白い勾玉を右手に握りしめました。
その瞬間、光を失っていた二つの勾玉がまぶしく輝きはじめ、それぞれの玉が惹き合うようにして互いを吸い寄せはじめました。
「うわ?…なんだこれ!」
「おお、これはすごい! うれしいですよー、椛!」
「な、なにがですっ?」
「あなたが私のことを、こんなに想ってくれていたなんて」
「は…あ? なにを言って、…うわあ!」
椛と文は強力な磁力に引き寄せられて、互いの額をひどく打ち付けました。
そうして、二人の手の中で重なりあった二つの玉は、再び光を失って静かになりました。

「あやややや…」
尻餅をついた文は、椛とぶつけた額をさすりながら、床に投げ出してしまった瑪瑙(めのう)の玉を拾い上げました。
「さて。あなたの持っていた赤い勾玉は『陰』。私の持っていた白い勾玉は『陽』。陰と陽のふたつの玉がひとつに結合したものが、あなたもよく知っている『陰陽玉(おんみょうだま)』と呼ばれるものです」
「…陰陽玉は、妖怪の山の虹龍洞(こうりゅうどう)から掘り出した龍珠(りゅうず)と呼ばれる瑪瑙から作られています。私たちが使ってもこれほどの力があるのですからね。正しく陰陽玉を持つ資格のある人間。すなわち、『博麗の巫女』がこれを使えばどれほどの霊力を生み出すか、あなたにもわかるでしょう」
「…陰陽玉を陰と陽に分割すれば磁石のように引き合わせることも、どちらか一方を同じ属性にすれば、これも磁力のように反発して相手にぶつけることもできる。その力を利用して、あなたをここに呼び寄せたのです」
「…陰と陽が引き合う力は、それぞれの玉を持つ者の霊力と、互いを想う力に比例します。だから私はさっき、『うれしい』って言ったのですよ」
「はあ? 私が文さんを想う? いやいやいやいや、そんなわけないじゃないですか! 文さんのせいで、いつも面倒なことに巻き込まれてるんですよ? だいたい今度のことだって文さんが…」
「まあまあまあ。いいじゃないですか」
文は、隙間なくぴったりとくっついて完全な球体になっている陰陽玉を見て、満足そうに微笑みました。
風と椛 五へ続く