バージョン2でレンダーシアを旅していた当時に思ったのは、五大陸を襲ったネルゲルさんとは別に存在する魔王とやらが、レンダーシアへの侵攻をかなり効果的に成功させてるぽいということだった。グランゼドーラの城下まで魔王軍が攻めてきたとか、アラハギーロの軍隊が全滅して王様が行方不明になったとか聞けば誰だってそう思う。
たぶんゼルドラド元帥とヒョッヒョマンのどちらかだが、少なくとも彼らは優れた策謀家もしくは指揮官だった。いささか趣味が悪いとはいえ、強いくせに力押しだけではなく、人心を動揺させたり分断させようとしたりする。特にアラハギーロの王様が行方不明になったところで、兵士長とまものつかいのリーダーを離反させたのは「お見事」としか言いようがない。あの王様が、あんな性格だからこそ国内の接着剤の役目を担っていたことがよくわかる。
「おいじじい。もっといいバッジをよこせ」
アラハギーロで兵士長とまものつかいのリーダーをしていたゴリウスとベルムドの二人は、どちらも厳格で真面目すぎるきらいがあるが、少なくとも面倒見はいいし部下から慕われていたところもとてもよく似ていると思う。そんなことを言えば本人たちは否定するどころか、火のように怒り出すところまで想像できる。たぶんこの二人、魔王軍の侵攻がなければお互いを嫌いながらも、お互いのやっていることは認めるくらいの関係で済んでいただろう。
エテマメが見たのはホイミン風の彼女から聞いた話や、生き残りのもと兵士から聞いた伝え聞きの話ばかりだが、それでもおおよその事情はうかがえる。ある日とつぜん、モンスターの大軍が攻めてきた。兵士だけでなんとかできるとは思えないから、まものたちも戦場に駆り出して国を守る盾になれ。そう言われて苦渋の決断を迫られたベルムドは、まものたちに申し訳ないと思いながらゴリウスを恨まざるを得なかった。そこをつけこまれた。
この戦いは、兵士が安全な場所にいてまものたちを盾にしたのではない。兵士もまものも全滅して、王様まで行方不明になるというとんでもない負け方をしたという戦いだ。ゴリウスの言葉は、俺たちと一緒にまものたちもアラハギーロの盾になれ、という意味だ。某国では蛮族の襲来に剣闘士を戦場に出した例がある。
考えてみるといい。もしもまものたちが戦場に行かず、兵士たちがモンスターの群れに全滅させられていたら、アラハギーロの人々は何を思ったろうか。ゴリウスはそれを避けようとして、ベルムドはそれを受け入れざるを得なかった。彼らは一緒にアラハギーロを守ろうとした仲間のはずだった。
だがここで魔王軍にずるがしこいヤツがいた。そいつがしたことは単純だ。捕虜にしたまものと兵士たちの記憶を曖昧にした上で、一方を厚遇してもう一方を虐げさせたのだ。これでもうベルムドは退けなくなるしゴリウスはすべてを許せなくなるしかない。エテマメの言葉。
「まけいぬは なかまわれ すると まけいぬの ままになる」
これを防ぐことができたのは、たぶんアラハギーロの王様だけだろう。だが王も戦場で行方不明になっていた。あの王様、たぶん多くの人が思う以上に勇敢で人望のある為政者だった。
あらためて、復興途上のお城にある、アラハギーロ軍の鉄則の本に手を伸ばす。かつてゴリウスが書いたそれには、死ぬときは必ず敵を道連れにしろと兵士に告げるゴリウスの姿があった。そして新しい鉄則には、死ぬなとにかく生きろと兵士を励ます新しい兵士長の言葉がある。これを見て、どちらが正しくどちらが間違っていると考えた者は、魔王軍につけこまれる余地がある「人間らしい心を持っている」ということだ。
だからここは愛するまものたちを殺されたベルムドの逆恨みや、衆目の中で部下も自分も殺されたゴリウスの怨念をなじるよりも、それらを策謀した魔王軍の狡猾さに憤りながらヒョッヒョマンとか呼んでやるのがいいだろう。幸いというべきか、この芸術的なまでに成功した謀略は、魔王じきじきのものではない。エテマメが魔王の居城に近づくにつれて、魔王軍の後手を踏むことがなくなり魔王の策略がどんどん稚拙になっていくのは、たぶん魔王じきじきにおでましするようになったからだろう。
えらそうに演説をしながら大振りの即死攻撃をしてくる敵と、えらそうに演説をしながら混乱や魅了の状態異常を決めてくる敵のどちらが厄介か。そんなことを考えながら、復興したアラハギーロの闘技場で戦ううちのスライムペスを応援している。